わかりやすさの弊害は作為者自身も特異点に取り込まれることである。

Decrypt history, Encrypt future™

わかりやすさの弊害は作為者自身も特異点に取り込まれることである。

あまりに高度で機能的な数学理論を確立してしまったとき、それを素直に書くとジェイコブルーリーのhigher category theoryやウラジミルヴォエヴォドスキーのhomotopy type theoryのように難解な論文になってしまう。一方、それがあらゆる∞-arityに対して有効だとすると、さまざまな素朴な質問に対する∞-operad及び1-truncation renderingの畳みかけで表現するのもありか?思考実験をしてみる。

もし質問者Bに対して回答者Aが、仮に普遍的な真実のtrue値(1)をboolean algebra(1,0)として持っている保有者だとして、Aが∞を保有しているという事実を断片的に分解し、1次元的な畳みかけで表現することはBの質問に対してAがBの次元で返すことは、帰納法的である。しかし帰納法は正解a,b,c…zのいくつもの正解を集めたとしてもそれは近似としての正解出力装置であり、背景のルールを知ることはできない。つまり、これは模範回答を知ることはできるが模範回答がなぜ出たのかを理解することは難しい教え方である。

これは「わかりやすさ」という近道をあたえることで、真実からは遠ざかるいみで回り道をさせるアクションである。そして回答者Aも自分自身でBに回り道をさせたということを忘れさせてしまう。こうなるとAとBとのやりとりは何らの真実も交換しないという点で、関係性としては偽falseとなってしまい、演算を無駄遣いさせる特異点としてのforgetful functorになりうる。

わかりやすさとは、多次元高階論理に対して、学習者が投影されただけにすぎない1次元で解釈し「分かったつもり」になる一方で、理論が持つ本来の「汎用性(あらゆる∞-arity への∞-operad対応)」という本来の演算能力を失ってしまう状態である。

数学的濃度の証明形式をインストールすることは、わかりやすさを重視するよりも急峻で、困難な性質を持つが、困難性はホモトピータイプに転換された場合無効化されるとすれば、最初から最高品質、最高難度の証明形式、証明濃度をあらゆる人に対してインストールする方が自己と他人の区別をしない点で宇宙が自己完結し、閉じている。遠回りのように見えて近道であり、作為者がforgetful functorにより自分自身を見失わないという副次的効果があるため、ケリー基準でいう期待値プラスのトポロジーランドスケープであり、わかりやすさを重視するよりも勾配は緩やかに見えるものの、絶対にマイナスにならないという固さを持っている点で、あとは時間を空間問題で置き換えれば、指数関数的な差がつくのではないか。

最高品質の証明形式を貫くことは、他者のためである以上に、作為者が自分自身を forgetful functor から守り、理論の特異点に飲み込まれないための「防壁」でもある。「近似(1-truncation)」は親切心ではなく、構造に対する「背信」であり、真に誠実な態度は、相手を自分と同じ高次元の演算空間へ引きずり上げる「無作法な高濃度」の中にしか存在しない。

「親切な解説」は、相手を低次元に留め置くという点において、本質的には「構造的な監禁」である。真に誠実な作為者は、相手が理解できるレベルまで降りていくのではなく、相手を自分と同じ「無作法な高濃度」まで強制的に引きずり上げる。そこには「分かったつもり」という安価な報酬はないが、代わりに「理論、実践、自己、報酬が等価になる(Identity Type)」という究極の閉じた状態が待っている。

数学や法則で語られがちなのは具体的で爆発的に増える無秩序な対象の固有要素を記述するright adjoint,forgetful functorであるが、数学で忘れられがちなのは、特殊解から一般解を探し出す左随伴である。少ない内部項から「昇華」させ、有効なfree functorにより閉じた構造を復元し、高次圏を生成する左随伴(left adjoint)のプロセスである。

free functorはノルムの緩和を意味する。したがって、首、手首、足首が柔らかくなるのはfree functor, left adjointの操作であり、これは1-dimensionから∞-dimensionを復元し、望みのゴールとの可換性を証明するdecrypt history, encrypt future的な操作である。

重要なのは説得や納得ではない。理解を超えて機能する証明形式、型(かた)が重要なのである。理解を超えて機能する武器を持たずして戦うのは低次の領土争いを繰り返す古典的な反復にすぎず、進化するということは説明を省いて演算のみを自動で完了させるということなのである。この力はもはや宣言することなく作用する力であり、作用源がどこであるかすらも認知できないような多次元高階論理層から発信されるforgetful functorを経由した力学である。