ニールス・ヘンリック・アーベル(Niels Henrik Abel)
ニールス・ヘンリック・アーベル(Niels Henrik Abel)は、19世紀初頭に駆け抜けるように生きた数学者です。
- 生年月日: 1802年8月5日
- 没年月日: 1829年4月6日(享年26歳)
時代背景とソフス・リーとの関係
ソフス・リー(1842年生まれ)よりも約40年ほど前の世代の人です。
- 若き天才の時代:アーベルが活躍したのは、ナポレオン戦争が終わった後のヨーロッパです。彼は弱冠22歳で「5次以上の代数方程式には、解の公式が存在しない」ことを証明し、数学界に衝撃を与えました。
- 不遇の生涯:その凄まじい才能にもかかわらず、当時はなかなか正当な評価を得られませんでした。極貧の中で研究を続け、結核によって26歳の若さで亡くなってしまいます。彼にベルリン大学の教授職を用意したという知らせが届いたのは、彼が息を引き取ったわずか2日後でした。
- ソフス・リーによる「復権」:同じノルウェー出身のソフス・リーは、アーベルを深く尊敬していました。リーはアーベルの業績を整理し、世界に広めることに尽力しました。先ほどお話しした「アーベル賞」の提案も、リーが「ノルウェーが誇るべき偉大な天才」を忘れないために動いた結果の一つです。
アーベルとリーは、どちらもノルウェーを代表する数学者として、同国の500クローネ紙幣に肖像が採用されていたことがあります(アーベルが旧版、リーがさらにその前の時代のデザインなど)。アーベルがいなければ、その後の群論の発展もなく、ソフス・リーのリー群・リー環理論もまた違った形になっていたかもしれません。
アーベルが5次方程式の不可能性をどうやって証明したのか、アーベル以前、多くの数学者は「どうやって公式を作るか」を考えていましたが、アーベルは発想を逆転させ、「もし公式があるとしたら、それはどんな形をしていなければならないか」を徹底的に分析しました。
1. 「解の公式」を構造で捉える
解の公式とは、係数(a, b, c …)に対して、「たし算・ひき算・かけ算・わり算」と「n√(べき根)」を繰り返して作られるものです。
アーベルは、もし公式が存在するなら、それは次のようなステップを踏むはずだと考えました。
- 係数を処理して、ある値 R_1 の n 乗根(n√R1を作る。
- その結果を使って、さらに別の n 乗根(m√R2)を作る。
- これを繰り返して、最終的に解 x にたどり着く。
2. 対称性の破壊と「あみだくじ」
ここで重要になるのが、解を入れ替える「対称性」です。
例えば、2次方程式 x^2 + ax + b = 0 には2つの解 α, β があります。
- 解を入れ替えても、係数 a = -(α+β) や b = αβ は変わりません。
- しかし、解の公式に出てくる √D (判別式のルート)の部分は、解を入れ替えると符号が反転(プラスがマイナスに)します。
アーベルは、「ルートをかぶせるという操作は、解を入れ替えたときの結果のバリエーションを少しずつ増やしていく作業である」ことを見抜きました。
3. 5次方程式で起きた「行き止まり」
アーベルは、5次方程式の5つの解を入れ替える全パターン(120通り)を分析しました。
- 4次までの方程式:「入れ替えのパターン」を段階的に小さく分解していくことができます。ルートを一つかぶせるごとに、数学的な「ズレ」を解消して解に近づける構造(可解群)を持っていたのです。
- 5次以上の方程式:5つの解を入れ替えるパターンの中には、「どうしてもそれ以上細かく分解できない、巨大で複雑な塊(5次交代群)」が含まれていました。
アーベルは、「この複雑な塊がある限り、単純なルートの計算をいくら積み重ねても、解を個別に特定することは不可能である」ことを論理的に導き出しました。
4. アーベルの証明からガロアへ
アーベルの証明の数年後、エヴァリスト・ガロアが、この「入れ替えのパターンの構造(群)」そのものを研究する「ガロア理論」を確立しました。
- アーベル: 「5次には公式がない」ことを、具体的な計算の矛盾から証明。
- ガロア: 「どんな方程式なら解けて、どんななら解けないか」という判定条件そのものを、群の理論で解明。
まとめ
アーベルは、「解をルートで表そうとすると、5次以上の場合は入れ替えのパターンの複雑さにルートの表現力が追いつかなくなる」ということを数学的に突き止めたのです。
「できない」ことを証明するのは、「できる」ことを証明するよりはるかに難しいと言われますが、アーベルは22歳でその金字塔を打ち立てました。

