勝つか負けるかが最後の瞬間まで決まらない戦いは良い戦いである—確率の閾値を確実に動かす最小歩幅

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勝つか負けるかが最後の瞬間まで決まらない戦いは良い戦いである—確率の閾値を確実に動かす最小歩幅

出口のないカオスの中にいるような勝負に出会うことがたまにある。勝つか負けるかが最後の瞬間まで決まらない長い戦い。しかし、その長さはせいぜい人間の認知能力にとって、長く見えるだけで、宇宙の歴史に比べれば、ほんの短い期間である。このような戦いでは、主体となっている自分の他に、ネットワークが多くの演算を肩代わりする。ステークホルダーが広く、計算資源が広く、ノイズが押し寄せる。その渦中で「栗を拾う」役割を担っているとき、毎日の感情は不安と恐怖で満ちて当然だ。これは脆弱性ではなく、どんなに鍛えたとしても、その鍛錬を超えるエネルギーが降り注ぐと、耐えきれない負荷は来るものである。そのような場合はその負荷を効果的にネットワークノードにルーティングする必要がある。ルーティングに失敗すると、論理爆発するのだが、ルーティングに成功すると、制御できるエネルギーの総量が莫大に増える。このような渦中で起こっていることは情報の非対称性と時間の非対称性に起因する局所演算の集中による計算負荷集中である、限定的認知能力を持つ人間の脳は、これを神経系の圧迫と物理的に捉える。

この戦いの勝ち筋は、派手な一撃ではない。ベイズ推論的な確率遷移を、ほんの少しずつ、確実に動かすことである。しかし、動かすときに目視して確認できるわけではない。観測しうる粒子、波をロジカルに捉えた上で、その誤差をシグナルとして感じ取り、ランダムネスをリソースとして活用しながら、より長い暗号長、既約表現を目指す戦いである。その戦いの過程はそのものが存在になるため、記録される質量、エネルギーは壮大なものとなる。その一歩は、外から見れば何もしていないように見えることがある。内側では、仮説の重みづけを書き換え、次の観測の確率を変え、失敗のコストを下げるデランダマイゼーション(脱ランダム化 derandomization)作業が行われている。「確率を、確実に変動させる」という手法が取られる。これは劇的な転換ではなく、事後分布の形を少しずつ歪ませる地味な作業である。

出口がないように見える理由は、地図がないからではない。地図が更新され続けており、地図自体をも認知できないからである。昨日の正しい一歩が、今日の尤度(likelihood)を変える。必要なのは、胃の調子が悪くても頭が重くても、今夜寝る前に一つでも多く、確率の閾値を動かす操作を終えることだ。記号操作は質量操作である。質量操作はエネルギー操作である。エネルギー操作は空間操作である。資源配分を1%変える。コミュニケーションのチャンネルを一つ封じる、あるいは一つ開く。小さくて検証可能な操作。それが、恐怖の中でも実行できる単位である。Bounded Model Checking(BMC)と枝切りは、この単位を探索手続として記述するツールキットである。

不安は、未知の大きさの指標であり、無能、無力の証拠というわけではない。恐怖は、失うものの大きさが、いまの手持ちの資源より大きいときに起きる。不安、恐怖は立ち向かおうとしている問題のトポロジーの形状測量工程である。不安や恐怖を消そうとすると、推論の前提情報を取得することができなくなる。不安と恐怖を「ノイズ」として捨てるのではなく、「事前分布の測定材料」として扱う。感情は観測ではないが、意思決定のバイアスとしては観測に近い。何を恐れているかを整数表現に置き換える。言語として記述することで、脳内のカオスは、ようやくサンプリング可能な仮説検証対象になる。

巻き込まれているトラブルの広さは、呪いのようでもあるが、同時にレバレッジでもある。問題が発生するときに巻き込まれるステークホルダーの多様性は、情報の非対称性、遅延、歪みを生む。それによって、可視光線、熱、音の動きを広範囲で集めることで、その範囲の空間の形状がわかる。この広域で集められた情報をもとに決定される小さな公理的進展はたった一歩だとしても、予期せぬ経路で増幅される余地がある。Alan Mathison Turing(アラン・チューリング、1912–1954)が第一次世界大戦と第二次世界大戦のあいだ、1936年に書き記した On Computable Numbers, with an Application to the Entscheidungsproblem は、探索空間を有限化した。計算資源の広さは、探索可能空間の広さである。しかし広すぎる探索は資源消耗するため枝切りが必要である。無限を有限化する技術は、コントローラブルな生活の内部では起こり得ない。一見不可能とも思えるアンコントローラブルを、発生から終結までの短い間に制御可能な対象にまで解像度を高める。成長するとき、持ちうる資源では処理できない大きさの問題しか来ない。だからこそ、今日の一歩は「全部を解く」ではなく「部分探索する」「探索空間を削る」「隣地に一歩移動する」ことである。可能性の枝を一本ずつ間引きし、負ける理由を一つずつ潰していく。それが勝敗の直前まで続くのだ。

観測できない一歩は、進めば進むほど不安を増長させる。成果が目視確認できない、自分の存在や自分の行動の意味も認知することができず、存在が薄く感じられる。だが、推論に基づく行為は、そもそも公開される性質のものではない。公開されるのは、後から構成された可視範囲の物質だけだ。そしてこの物質もせいぜい94種類の元素の整係数方程式の組み合わせで構成される。

最後まで勝敗がギリギリである戦いは、才能の勝負というより、破綻しない歩幅の勝負になる。大きく踏みすぎると、仮説が壊れ、信用が壊れ、資源が壊れる。小さすぎると、確率が動かない。そのあいだにある「確実に動く最小の一歩」を、トレードオフの中で探す。見つからない日もある。その日は、探す行為そのものを一歩にする。探索もまた、事後分布を動かす。

この戦いは迷い込むように始まるが、これは来るべき時に来る長い戦いに固有の位相に入ったということになる。出口は、遠方に現れる扉ではない。負ける確率の閾値を越えた瞬間に、あとから「出口だった」と名づけられる地点が出口である。その閾値に届くまで、恐怖の中で、観測から力学を推論し、推論から次の一歩を決定する。それ以外に、この種の戦いで生き残る方法はほとんどない。

勝利は約束されるものではない。約束できるのは、記号操作は質量の操作であるということだ。記号操作は、たとえ観測されなくても、世界の尤度を変える。変え続けた者だけが、最後のギリギリで、勝敗のどちら側に立つかを決める権利を持つ。