チューリングマシンの停止性の生命的解釈
Logic, Time, Space, Randomness
数学は系の限界を記述するにとどまり、系の外側の可能性には触れない。チューリングは高尚な数学を単純な紙とテープの連なりの問題に引き摺り落とした。そしてそれは同じ時代の人間にはとても理解し難く、離散的な反発を受けた。しかし歴史はこれを確率的に正しい離散的論理実装だと証明した。
生命はチューリングマシンだとすると、永続するか、停止するかを判定する汎用アルゴリズムはない。つまりどこで死ぬか、あるいは死なないのかを決めるアルゴリズム(常識的なルール)は存在しないのである。個体にとって病気、自殺、事故、毒殺、暗殺ですらランダムネスを超えられるかの確率的チャレンジに過ぎない。そのチャレンジを超えるか超えないかの難しさはおよそ50%に収束する。確率が99%だろうが、1%だろうがtimeという資源のもとには0か1かのpseudo randomness問題に還元される。geometrizationがtimeをspaceに還元して計算をバイパスするのであれば、randomnessはspaceがtimeにより還元される手法なのである。つまりhardnessとrandomnessは等価である。P≠NPが絶対的であればあるほど、そのhardnessはrandomnessな資源として活用できるのである。
ヤオのXOR補題(exclusive or)あるいはImpagliazzo-Wigdersonのderandomizationマシーン(PRG Pseudorandom Generator
)という時間(Time)を投資して回すパリティ演算を介入させると、確率的アドバンテージは∝2εkのように指数関数的に削ぎ落とされる。計算回数(時間資源) k を多項式時間の範囲内で大きくしていくと、元々の確率が 99% だろうが 1% だろうが、天文学的な速度で50%に収束する。つまり、時間をかけてシステムをマクロに回した瞬間、あらゆる確率的な偏りは均され、外側から見れば完全に予測不可能な確率 50% のpseudo randomness(擬似乱数)へと一律に還元されてしまう。
そしてこの確率50%のチャレンジを100%超える個体が発生した時、その個体はこの宇宙の発生から終わりまでのポテンシャルの外側にいることが証明されるのだ。
ランダムネスからのエネルギーの取り込みと変換をやめて系に閉じこもった途端に確率に負けて死ぬ。逆にランダムネスを取り込んで細胞の最後の一個まで変更できる個体がいるとすれば確率的チャレンジに勝つ個体であり、理論上寿命という概念が消える。

