不可能性の発見の歴史|アーベル群

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不可能性の発見の歴史|アーベル群

① √2 が有理数にならないことの証明(紀元前6世紀頃 ギリシャサモス・ピタゴラス学派)

歴史上、最も古い不可能性の証明です。「正方形の辺の長さと対角線の長さを、どちらも整数比で表すことは不可能である( √2 は分数で表せない)」という事実を、背理法を用いて証明しました。

  • 性質:「有理数の世界には存在しない」という不可能性。

② 素数に「最大の数」は存在しないことの証明(紀元前300年頃・エジプトエウクレイデス)

『原論』にある証明です。「素数をすべて掛け合わせて1を足す」という数式的なアプローチを用いて、素数のリストを有限個で終わらせることは不可能(=素数は無限にある)と示しました。

  • 性質:「有限で数え切ることは不可能」という不可能性。

③ フェルマーの最終定理の n=4 の証明(1640年頃・フランス ピエール・ド・フェルマー)

フェルマーは、 x^4 + y^4 = z^4 を満たす自然数の組 (x, y, z)を見つけることは不可能であることを、「無限降下法」という手法で提示しました。(のちにオイラーが数学的に証明を再構築)

  • 性質:「ある特定の数式を満たす解(整数)は存在しない」という不可能性。

④ オイラーの「一筆書き」の不可能性(1736年・スイス レオンハルト・オイラー)

有名な「ケーニヒスベルクの街の7つの橋」の問題です。オイラーはすべての橋を一度だけ渡って元の場所に戻るルートを探すのは不可能であることを、地形ではなく「点と線(グラフ理論)」という数式モデルに落とし込んで証明しました。

  • 性質:「特定の条件を満たす経路の存在は不可能」という不可能性。

2. では、なぜアーベルの1824年が「初の例」のように語られるのか?

上記のように、1824年以前にも「〜は不可能である」という証明はたくさんありました。アーベルの1824年の証明には、過去の証明を凌駕する「新しい次元の抽象性」があったため、数学史の大きな転換点とされているのです。のちに四元数を発見するウィリアムハミルトンは1829年にアーベルの複雑性証明が正しいことを主張しています。

比較項目1824年以前の不可能性1824年のアーベルの不可能性
対象「数」や「解」そのものの不可能性。解き方(操作・アルゴリズム)の不可能性。bruteforceなら解はある。
問いの性質「この式を満たす数は存在するか?「5次方程式を解くための『四則演算とルートの組み合わせ(公式)』は存在するか?」
数学的アプローチ数の性質(奇数・偶数など)を駆使して、数式が成り立たないことを示す。「公式」という操作の集合(のちに『群』と呼ばれる構造)を数式化し、それが破綻することを示す。

アーベルがもたらしたパラダイムシフト

それ以前の不可能性は、解(ターゲット)が存在しないという証明でした。

しかしアーベルが証明したのは、「解(ターゲット)は複素数の世界にちゃんと5つ存在する。しかし、人間の武器(加減乗除とルート)をどう組み合わせても、その解にたどり着く公式を作ることは絶対に不可能である」という、手段・システムの限界の証明でした。アーベルの前後でオイラー、ラグランジュ、ルフィニ、アーベル、ガロア、カントールがつながり、現代のZFC集合論が始まるきっかけとなりました。アーベルの手法があったからこそ、のちにカントールは無限の数え上げの不可能性を、ゲーデルは理詰めの証明の不可能性を数式で定義できるようになりました。