散逸構造|the theory of dissipative structures
スタートアップが大型資金調達ができると、それ以前にはできなかったソフトウェア化が自然と開発されていくのはエネルギーの物理的問題に置き換えられる
経済現象を「熱力学的な自己組織化」として捉えれば、大型の資金調達(巨大なエネルギーの注入)が行われると、なぜか「社内ソフトウェア」や「独自のオペレーションシステム」が自然発生的に開発されていく現象は、単なる「金があるからツールを作る」という話ではなく、「外部から注入された膨大なエネルギーを、組織という箱の中に閉じ込め(低エントロピー化し)、特異点としての重力を維持するための物理的必然」と言える。
1. 散逸構造としてのソフトウェア
1977年にノーベル化学賞を受賞した物理学者イリヤ・プリゴジンが提唱した「散逸構造」の理論(the theory of dissipative structures)によれば、系に外部から大量のエネルギーが流れ込むと、系はそれをただ消費するのではなく、内部に新しい「秩序(構造)」を作ることでそのエネルギーを効率よく処理しようとする。プリゴジンの理論の核となるのは、「エントロピー生成の最小化」から「非平衡状態での構造形成」への飛躍。
彼がノーベル賞を受賞する決め手となった、熱力学におけるエントロピーの変化を表す基本式と、構造が生まれる条件(線形領域から非線形領域への移行)を数式で整理する。
エントロピー変化の分解
系(システム)のエントロピーの変化 dS は、外部とのやり取りによるもの(deS)と、内部で発生するもの(diS)の和で定義される。
dS = deS + diS
- deS: 外部との熱や物質の出入り(食事を摂る、熱を捨てる)。
- diS: 内部で不可逆的な変化によって生じるエントロピー(代謝、摩擦など)。
熱力学第二法則により、内部でのエントロピー生成は常にゼロ以上となります。
diS >0
散逸構造が維持される条件
特定の系 dSを維持し無秩序化を防ぐためには、特定の系 dS をゼロ以下(あるいは一定)に保つ必要があり、そのためには、内部で発生したゴミ(エントロピー)を外に捨てる必要がある。
dS = deS + diS<0にしたい場合
deS = -diS < 0
つまり、「食べたエネルギー以上に、エントロピーを外部に排出し続けている」状態が散逸構造を経験しながら秩序を高めるための必要条件である。
数式の解釈:エントロピーの「収支決算」
- diS > 0(内部生成): 組織が活動すれば必ずゴミ(摩擦・非効率・老化)が出ます。これはプラスの値です。
- deS < 0(外部流出): このゴミを外部に放り出します。マイナスの値です。
- dS = deS + diS = 0: 発生したゴミと同じ量だけ外に捨てているので、組織の「綺麗さ(秩序)」が一定に保たれます。
もし、dS < 0(系全体のエントロピーが減り、より秩序立つ=筋肉がつく)状態を目指すなら、条件はこうなります。
|deS| > |diS|
つまり、「内部で生まれる無秩序(サボりや混乱)を上回る勢いで、外部からエネルギーを取り込み、負のエントロピーを排出する」必要がある
3. エントロピー生成速度の定式化
プリゴジンは、単位時間あたりのエントロピー生成量 P を、「流れ(J)」と「力(X)」の積として表しました。
\[P = \frac{d_iS}{dt} = \sum_{k} J_k X_k \ge 0\]- Jk: 物質の拡散速度や化学反応速度
- Xk: 濃度勾配や温度勾配(反応を引き起こす原動力)
プリゴジンの「最小エントロピー生成の原理」
平衡に近い「線形領域」では、システムはエントロピー生成 P が最小になるような安定した状態に落ち着こうとします。しかし、平衡から遠く離れた「非線形領域」では、この安定性が崩れ、「散逸構造」という新しい秩序が突如として現れることを数学的に証明しました。
- 社内ソフトウェアの正体: 外部から流入した莫大な「資金(エネルギー)」が、組織内の「カオス(非効率なコミュニケーション)」によって熱として逃げていくのを防ぐための、エネルギーを保存するための秩序。
これはちょうど、人間が基礎代謝や運動を賄う以上の糖質、タンパク質、脂質やビタミンミネラルを摂取すれば、将来の処理を効率化するための筋肉が蓄えられるのに似ている。
2. 「マクスウェルの悪魔」の外部委託から内製化へ
初期の組織は、外部の汎用ツール(他人が作った判断基準)を借りる。しかし、資金が巨額になり、1人あたり1億円を使えるような高密度状態になると、汎用ツールでは仕分けの精度(閾値)が合わない。
- 識別コストの最適化: 独自のソフトウェアを作ることは、マクスウェルの悪魔の「識別アルゴリズム」を自分たちの組織専用にチューニングすることになる。
- 削除コストの管理: 汎用ツールは「捨ててはいけない情報」を捨て、「残すべき情報」を埋没させることがある。社内ソフトは、「脳を焼き切らずに、必要な情報だけを残して残りを捨てる」ための専用のリセット装置として機能し始める。
3. 重力を維持するための「事象の地平線」の構築
独自のソフトウェアや独自の文化(OS)が強固になればなるほど、外部からは中のアルゴリズムが見えなくなる。
- 情報の独占: これが特異点の「事象の地平線」となる。大型調達によって作られた独自のシステムが、内部の情報を高度に濃縮し、外部へ漏れるエントロピーを最小化する。
- 自己増殖するエネルギー: 一度ソフトウェアによる自動化(観測の自動化)が完成すると、資金(エネルギー)は「人間による消費」ではなく「システムの深化」に使われるようになり、さらに強力な重力(利益率)を生み出す。
結論:ソフトウェアは「反転術式」の回路である
- 負の受容: 拡大に伴う膨大な業務(ノイズ・負荷)を、「負のエネルギー」として受け入れる秩序がソフトウェアである。
- 反転演算: コードという箱と論理によって、負荷を「仕事量」へと変換する。
- リセット: 人間が判断しなくて済む部分を自動化し、創業者の脳を忘却させ、常に「次の判断」のためにリフレッシュ(治癒)した状態に保つ。
つまり、「社内ソフトウェアが開発される」のは、その組織の重力崩壊により、次なる重力の高い、恒星、中性子星、ブラックホールへと進化するための、生物学的な脱皮に近いプロセスである。
もし「ソフトウェアという名のマクスウェルの悪魔」が完成せず、人間が手作業でエントロピーを処理し続けた場合、組織は注入された資金の熱量に耐えきれず、内部崩壊、「熱的死(倒産・空中分解)」を迎える。

