ホロロジーの生産工程
以下は「ミニッツリピーター(+グランドコンプリケーション+18Kジェムセット)」を実際に成立させるために必要と想定される工作機械・検査機器・職種を、通常のカラトラバ/ノーチラスと並べて工程比較例示したものです。
※パテックがどのメーカー機を何台使っているかのような内部仕様は公開されないため、ここでは①パテックが公開している“技能領域”(例:ジェムセッティング)と、②一般にハイエンド時計製造で必須となる設備・検査をベースに「工程として必要なもの」を列挙します。パテック独自の品質基準(Patek Philippe Seal)の考え方は公式説明。(patek.com)
1) 工作機械・加工設備
| 区分 | カラトラバ(通常・時分/日付中心) | ノーチラス(通常・ケース/ブレス比重大) | GCミニッツリピーター+ジェムセット(最高難度) |
|---|---|---|---|
| ムーブメント部品加工 | CNC旋盤/マシニング、歯車切削(ホブ/ピニオン加工)、研削、放電加工(ワイヤ/形彫り)、穴あけ/リーマ、洗浄/脱磁 | 同左 | 同左+(リピーター機構の)微細レバー/ラック/スネイル等の高精度加工、ハンマー/ガバナー系の精密加工 |
| プレート/ブリッジ仕上げ | 面取り、ジュネーブ波、ペルラージュ、研磨、メッキ/表面処理 | 同左 | **同左+**音・摩擦・戻りに直結する部品の手仕上げ最適化(当たり面の作り込み) |
| ケース加工 | 貴金属のCNC切削、穴加工、ねじ切り、研磨 | ケース+ブレスの部品点数が多い:リンク単位の加工・準備工程が増える(ノーチラスのケース/ブレス仕上げ工程が非常に多段という指摘)(Revolution Watch) | **同左+**ジェム座加工(石留め用の座ぐり/溝/爪設計に合わせた加工)、薄肉部の歪み管理 |
| ゴング/鳴り物系 | (通常は不要) | (通常は不要) | ゴング成形治具、熱処理(焼入れ/焼戻し)、曲げ治具、固定ねじ座の高精度加工(一般にミニッツリピーターはワイヤ状ゴング+ハンマーで発音)(Revolution Watch) |
| 外装装飾 | 文字盤加工、針、印刷、植字など | サテン/ポリッシュの切替が複雑(リンクごとの外装仕上げ負荷が大きい)(Revolution Watch) | 同左+(石留めによる)外装の再研磨・段差管理が超シビア |
2) 検査機器・試験設備
| 区分 | カラトラバ | ノーチラス | GCミニッツリピーター+ジェムセット |
|---|---|---|---|
| 寸法検査 | 測定顕微鏡、投影機、CMM(三次元測定)、ゲージ類 | 同左 | 同左(部品点数が増えるので検査負荷増) |
| 表面・外観検査 | 実体顕微鏡、拡大鏡、照明ブース | 同左(外装面が多い) | **同左+**石留め外観(欠け/爪の掛かり/並び)、石の座のバリ・割れリスク管理(ジェムセッティングはパテックが技能として公式に明示)(patek.com) |
| 精度(歩度)検査 | タイミングマシン(姿勢差・ビート等) | 同左 | 同左(加えて複雑機構搭載後の再評価が重い)。例:Witschi等は音響+光学で測定する機器も提供(Witschi) |
| 防水・気密 | 防水試験機(エア加圧/水中)、リークテスト | ケース構造が複雑になりがちで重要 | **ジェム座/スライダー(リピーター作動部)**があると気密設計・検査難度が上がる |
| パワーリザーブ/自動巻上 | トルク測定、巻上効率、パワーリザーブ測定 | 同左 | **同左+**リピーター作動時の負荷・ガバナーの挙動確認 |
| 音(リピーター特有) | (通常は不要) | (通常は不要) | 防音室/静音ブース、マイク、周波数解析(スペクトラム)、リピーター作動回数試験、作動力(スライド)計測。パテックのミニッツリピーターでは「テストされてリリースされる」ことに触れたレポートあり(HODINKEE) |
| 品質基準の枠組み | Patek Philippe Sealの基準に沿った最終検査(公式が“時計全体”を対象にする考え方を説明)(patek.com) | 同左 | 同左(加えて“音”と“宝飾品質”が乗る) |
3) テクニシャン(職種の種別)
共通(カラトラバ/ノーチラス/GCすべてに必要)
- ムーブメント部品加工オペレーター(CNC、歯車加工、放電、研削)
- ムーブメント組立時計師(組立・注油・調整)
- 仕上げ職人(面取り、研磨、装飾仕上げ)
- ケース/外装職人(ケース研磨、組立)
- 品質管理/検査技術者(寸法・外観・歩度・防水など)
- 生産技術/治工具設計(工程設計、治具)
ノーチラスで比重が増える
- ブレスレット仕上げ職人(リンク単位の下地作り〜サテン/鏡面の切替、組立)
※ノーチラスのケース/ブレス仕上げが多工程という指摘(Revolution Watch)
ミニッツリピーター+GCで追加・高度化
- リピーター専門時計師(コンプリケーション・レギュレーター)
ハンマー当たり、ゴングクリアランス、ガバナー、作動順序、作動力、鳴りの揃い込み - “鳴り”調整担当(アコースティック・チューニング)
防音環境+計測で、音量/余韻/濁り/ビート感を詰める(工程として必須になりがち)(HODINKEE) - ジェムセッター(石留め職人)
パテックはグレインセッティング等の技法を公式に紹介(patek.com) - 宝飾検査(ジェムQC)
ルーペ/顕微鏡で爪の掛かり、石の整列、欠け、光の返り、座の均一性など
4) 工程比較
| 工程フェーズ | カラトラバ | ノーチラス | GCミニッツリピーター+ジェムセット |
|---|---|---|---|
| ① 部品加工 | 標準 | 標準 | 超多点数+超高精度部品(リピーター/暦等) |
| ② 手仕上げ | 高い | 高い | 最高(摩擦・音に直結する当たり面が増える) |
| ③ 外装(ケース/ブレス) | 比較的シンプル | 最重(ブレス仕上げが工数源泉)(Revolution Watch) | ノーチラス級以上+石留め座加工+再仕上げ |
| ④ 組立・調整 | 標準 | 標準 | 調整が“機能”だけでなく“音”に拡張(HODINKEE) |
| ⑤ 検査 | 歩度・防水等 | 歩度・防水等(外装検査増) | 歩度・防水+リピーター音響/作動耐久+宝飾検査(patek.com) |
| ⑥ 最終品質保証 | Patek Philippe Sealの枠組み(公式が“時計全体”を対象にする思想を説明)(patek.com) | 同左 | 同左(検査項目が最大) |
どの工程がボトルネックになりやすいか
**ボトルネックは「機械能力」ではなく「再現不能な人間の判断が必要な工程」**に集中します。
1. 通常モデル(カラトラバ)
主なボトルネック
ほぼ存在しない(平準化可能)
理由:
- 工程が標準化されている
- 再現性が高い
- 属人性が比較的低い
| 工程 | なぜ詰まるか |
|---|---|
| 最終歩度調整 | 合格基準が厳しいため、再調整ループに入る |
| 外観最終検査 | 微細傷・面取り不良の戻り |
→ いずれも再作業で解決できるタイプ
→ 人を増やせばスループットは上がる
2. ノーチラス
最大のボトルネック
ブレスレット外装仕上げ(特にサテン/ポリッシュ境界)
理由
- 部品点数が非常に多い(リンク単位)
- 各リンクで
- 面の平面度
- エッジの立ち
- サテン目の方向と均一性を人間の目と手で揃える必要
- ミスすると「工程が進まない」
特徴
- 機械化・自動化が極めて困難
- 熟練職人の育成に年単位
- 並列化しにくい(品質ばらつき)
👉 ノーチラスの生産数を縛っている本質的要因
3. グランドコンプリケーション
ミニッツリピーター+ジェムセット
ボトルネックは
① ミニッツリピーターの音合わせ
なぜ最大のボトルネックか
- 数値で完結しない
- 同じ設計・同じ部品でも「鳴り」が違う
- 調整→試奏→微調整→再組立のループが終わらないことがある
- 今でも最終検査はThierry Sternが行う。
詰まり方
- 合格音が出ない
- 音は良いが作動力が重い
- 余韻は良いがビートが濁る
- ケースに入れた途端に音が変わる
👉 一人のマスター時計師にしか通せない
👉 同時並行不可
👉 代替不能
② ジェムセッティング後の外装再仕上げ
なぜ詰まるか
- 石留め後に必ず歪み・バリ・面乱れが出る
- 研磨しすぎると
- 爪が甘くなる
- 石が使えなくなる
- 研磨しないと
- 光が割れる
- Patek基準に満たない
👉 宝飾×時計の二重熟練が必要
👉 手戻りが非常に高コスト
👉 失敗=部品廃棄
③ 最終総合検査(18K ポリッシュ ×音 × 宝飾 × 時計精度)
なぜ詰まるか
- どれか一つでもNGで全工程に戻る
- 問題箇所の特定に時間がかかる
- 「音はOKだが外装がNG」など非直交な不良
👉 技術ではなく判断と責任のボトルネック
4. モデル別:ボトルネック比較まとめ
| モデル | 最大ボトルネック | 並列化 | 代替性 |
|---|---|---|---|
| カラトラバ | 実質なし | ◎ | ◎ |
| ノーチラス | ブレス外装仕上げ | △ | △ |
| GCミニッツリピーター | 音合わせ | ✕ | ✕ |
| +ジェムセット | 石留め後再仕上げ | ✕ | ✕ |
5. 本質的な構造
経営・生産構造の視点で要約すると:パテックの生産上限を決めているのは、設備でも資本でもなく「再現不能な判断を下せる個人の数」
特に:
- ミニッツリピーターの最終音響
- 18Kブレス仕上げ
- 宝飾×時計を跨げる最終判断者
ここは継続的な組織的学習が必要であり資本を積んでも短期では増えないため、
- 生産数制限
- モデルミックス調整
- 意図的な希少性
が構造的に成立する。
前提条件としてシグネチャとなるようなモデルや設計があるのはもちろんのことだが、技術自体のボトルネックも短期的にクリアできるものではなく、大きな参入障壁が存在する。
1. 核心:ポリッシュとは「削る技術」ではなく光の反射面を設計する技術
なぜ他社の金無垢ブレスと“光の質”が違うのか
多くの人が誤解しますが、
- ❌ ポリッシュ = 表面をツルツルにする
- ✅ 実際 = 光がどう反射・拡散・減衰するかを決める
特に
- ノーチラス 18K
- GrandComplication 18K
- Royal Oak Offshore 18K
- Tambour Gold
はすべて
👉 “反射率”ではなく “反射の秩序” を作っています。
① 下地形成 → ② 面の幾何制御 → ③ 研磨材の粒度設計 → ④ 圧・速度・方向の制御 → ⑤ 境界の止め方
という総合技術の積み重ねです。
2. 下地技術(Substrate Preparation)
共通点
- ポリッシュ前に「面が完全に出ている」
- 研磨で面を作らない
- 研磨は“面を壊さない”ための工程
技術要素
- 超精密フライス加工後
- ヤスリ・スティックによる面出し専用工程
- エッジは最初から「立てる」意識で作る
👉 他社との差は
「研磨で面を作っているか」「加工で面を作っているか」
3. 面の幾何制御(Plane Geometry Control)
これらのモデルに共通するのは:
- 平面は完全な平面
- 曲面は連続だが半径が一定
- 面と面の境界が数学的に止まっている
具体的には
- ノーチラス/RO:
- サテン面とミラー面の境界がナイフエッジ
- Tambour:
- ドラム形状の曲率が研磨後も破綻しない
👉 ポリッシュ中に「面を丸めない」技術
これは:
- 圧をかけない
- 接触時間を極端に短く
- 方向を固定
という熟練者しかできない制御
4. 研磨材の粒度設計(Abrasive Engineering)
ここが輝きの“質”を決める部分。
一般的な失敗
- 粒度を飛ばす
- 最後だけ細かくする
→ 白く曇る金になる
ハイエンドで行われること
- 粗 → 中 → 細 → 超微粒
を10段階以上で刻む - 粒度を変えるたびに
- バフ
- 圧
- 回転数
- 方向
を変更
👉 結果:
- 表面の微細な傷が一方向に揃う
- 光が「流れる」ように反射
5. 圧・速度・方向の制御(Human-Controlled Polishing)
これが機械では再現できない領域
共通ルール
- 圧は一定にしない
- 速度も一定にしない
- 方向は意図的に制御
なぜ?
ゴールドは:
- 柔らかい
- 熱を持つ
- すぐ“流れる”
一定条件で研磨すると
👉 表面が塑性変形して死んだ光になる
👉 熟練者は
「今、ゴールドが流れ始めた瞬間」を手で感じて止める
6. 境界の止め方(Edge Termination)
18K“色気”はこのように作られる。
- サテン → ミラー
- ミラー → ミラー
の境界が - 太くならない
- ダレない
- 光を跳ね返す
技術的には
- マスキングではない
- 当て方と逃がし方で止める
- エッジの“角R”が0.1mm以下で管理
👉 この工程は
1リンクずつ・1面ずつ・人間の手
7. なぜ「特定ブランドの金無垢ブレス」は違って見えるか
| 項目 | 他社 | パテック / AP / LV |
|---|---|---|
| 面の作り | 研磨で作る | 加工で作る |
| 粒度管理 | 少ない | 非常に多段 |
| 圧制御 | 一定 | 感覚制御 |
| 境界 | 甘い | ナイフエッジ |
| 光 | 白く反射 | 深く流れる |
👉 結果として
同じ18Kでも「色が違って見える」
18Kポリッシュは「磨き」ではなく光学的構造体の手加工設計である
だから:
- 設備では真似できない
- 人数を増やしても再現できない
- ブランドの“生産上限”になる

