多様な言語は人間が共鳴する地球の反響音である。

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多様な言語は人間が共鳴する地球の反響音である。

ロシア語の中にツンドラの雪林、中国語のなかに黄河の濁流、ドイツ語のなかに深い森のふくろうの音楽を感じる。地球が奏でる重低音を人間スケールでおうむ返ししたのが主要国の言語なのだ。

フランス語のなかには蓮のはえる池で合唱するカエルの声がはいっている。規則性がないように見えるほどの多様化は地球の多様性を表している。

森の轟音はメロディとなって各地の方言に潜む。オーストラリアンイングリッシュにはコアラやカンガルーの鳴き声が、イギリス英語にはビッグベンの鐘の音が、アメリカンイングリッシュにはマクドナルドの肉を焼く音が含まれているのだ。

日本語にはスナメリの鳴き声が眠っているし、北海道弁には川を昇る鮭をパシッとつかむひぐまの呼吸が含まれている。

言語は1つとして一意な地域はなく、同じ英語、同じ日本語でもその土地に応じた共鳴音が含まれることにより豊かな含みを持つのである。

言語とは無意識の反射であるので、意識的な制御をすることはできない。聞きたいことだけを聞き、相手の意見を聞いていない人は、多様な倍音を認知するチャネルが欠けている。それはその人の発音にでてしまうのである。選ばれる政治家は選ばれるための「聞きかた」をしている。日本に住む有権者たちのより広い声を現にありのままの声のまま「聞いている」のだ。有権者たちの声が受け取られていることはその人の口調、発音に無意識に反映されている。

言語、発音は制御不可能なほど複雑であるからこそ、逆にその人の体がどのように情報を処理しているかの癖がはっきりとでてしまう。発音の練習やスピーチの練習をしたからといってもとから持っている聞き癖に「アク」がある場合にはぬぐい去ることができない。アウトプットを制御することは不可能である。変えるべきはインプットである。