ROICの定義の揺れ
ROIC(Return on Invested Capital)という指標は一見シンプルに見えて、実際には定義・解釈が複数ありうる概念です。
✅ 1. 会計上のROIC:定義としての形式値
通常、ROICとは以下のように定義されます:
ROIC=NOPAT(税引後営業利益)/Invested Capital(投下資本)
- NOPAT:純利益ではなく、本業による税引後営業利益(非営業損益・金融損益を除く)
- Invested Capital:運転資本+設備投資などの固定資産(営業用資本)
- ただし、このNOPATとInvested Capitalは会計報告にそれぞれの企業の恣意性が出ることと、標準化された基準があるわけではないので、実質的なNOPATとInvested Capitalが財務諸表のどの数字なのかというのはあくまで揺れがあるため、絶対的なROICは厳密には算定することができない。
- この場合のROICは%で表示される
たとえばWACCと比較して、 EVA Spread%=ROIC%−WACC%
という形式で経済的価値の創出(EVA)を測るための補助指標として使われます。つまり、資本コスト以上の利益を上げられているかを確認するための構成要素としてのROICです。
✅ 2. 投資家視点で求めるキャッシュのアウトプット
しかし一方で、実務上ROIC>○%などの経営目標を掲げ、実務にブレイクダウンするにあたっては、単年のROICという静的なスナップショットはあまり役に立たず、動的なフローとしてのROICを捉える必要が出てくる。また、ROICを%だけで評価しても実態は捉えられない。
1000万円の資本で実現できるROIC30%が1億円の資本でも同様に成り立つかどうか?→通常は成り立たないので、スケーラビリティも考慮するとすれば、ROICの大前提には投下資本総額というパラメータが必須となる。
英単語のReturn on Invested Capitalというならびだけをとってみると、これは直接的には投下資本に対する成果物という意味で、100億円投資したら+100億円増えたという、金額それ自体を元々は扱っていた言葉ではないかと思う。そこから比率、利回りという考え方に変わっていったのではないかと思う。
a. ROIC = 90% という定義には元本が含まれていない。
つまり、本来的なリターン=元本*資本回転率*マージン→投下資本に対するイールド
であり、リターンはパーセントであるとともに、総額(スケーラビリティ要素)を持つべきではないか。
- 投下資本100億円 → 税引後利益90億円 ⇒ 会計的には ROIC = 90%
- これは「当年限りのリターン」であり、投下資本の残存価値についてストックとしての価値評価を含んでいない。
- Net Liquidation Value = 100億円の場合は利回りの数字をそのまま使えるが減損テストが加味されていない
- 元本が100億円として、1年経った後清算しても100億円が戻るなら、純利益の90億円は純粋なフロー的リターン
- しかし、投下資本(有形固定資産+棚卸資産+現金同等物)の清算価値が80億円なら「実質価値回収」は 90 + 100-80 = 170億円 ⇒ 清算価値の減損を考慮したリターンは70%。
b. ROICからWACCを引いたEconomic Value Addedが実態リターン
ROICにはベンチマークである資本コストが含まれていない。現実では税引後利益に対して、さらに株主への配当、自社株買い、追加の資本調達のコミュニケーションなどの資本コストが発生する。つまり、ROICからからWACC10%が引かれるので、NLV(Net Liquidation Value)を控除したROIC70%の場合、Economic Value Addedは60%になる。本来、投資対効果で見たいのはEVAであるが、ROICにはEVA要素が含まれていないため、ROIC5%というWACCを無視した目標が樹立されてしまう。(WACC10%であればROIC5%は目標として成り立たず、EVA-5%を目標としていることになる)
c.プレミアム意識の欠如の修正。EVやDCFとの乖離
- ROICが公開市場平均の10%を超える場合、つまり、上場企業の平均点を超える場合には、ROICが向こう5年、10年増え続けた時に得られるプレミアムを算定することができる。
- ROICが10%だとして、純利益の成長が10%で持続するなら、事業価値(EV Enterprise Value)はDCF的に初年度のフリーキャッシュフローの10倍になる、FCF成長が20%なら17倍、30%なら25倍とプレミアムは増えていく。
- よって、ROICが高い=企業価値が高い、とは別に「FCF成長性」のパラメータがないと投資対効果を算定することはできない
✅ 3. 定義の広さと誤解されやすさ
ROICという指標が以下のような複数の文脈で意図が混同され、数値だけが一人歩きしている。ROIC90%はAppleやNVIDIAクラスで一般的にはほとんど存在しないケースだが、モデルとして適切なのでこれを用いる。特にAppleは運転資本がCCCマイナスなので、CAPEXはプラス、OPEXはマイナスというInvested Capital計算となるため分母に総資産をとるのか、WorkingCapital+Fixed Assetを取るのか工夫が必要である。流動資産を分母に入れてしまうと、Appleは米国債なども保有しているため、実際の事業に用いていないキャッシュをROICの分母に入れると適切な収益力が算定されない。
定義の文脈 | 対象 | 概念 | 例 |
---|---|---|---|
会計的ROIC | 単年度ROIC | 純利益/投下資本 | NOPAT=90億 / 投資100億 = 90% |
経済的Value Addedの評価を目的 | EVA評価 | ROIC- WACC | ROIC=90%, WACC=10% ⇒ EVA=80億 |
保守的に清算価値を考慮した実質リターン | 解散価値考慮 | (純利益+NLV-投下資本)/投下資本 | (90+80-100)/100=70% |
将来価値を含むリターン | IRR, DCF視点 | EV=DCF(N年) / 投下資本 | EV=900億 / 投資100億 ⇒ 9倍 |
✅ 結論
ROIC = 「投下資本に対するリターン」 という語義は上場企業の取締役会の目標として広く普及してはいるものの、その分子、分母に何を代入するかや、単年度ROICと複数年にまたがるIRRの区別、または成長事業を10年単位で保有した場合の将来FCFの割引現在価値をいう観点は通常意識されていないことが多い。しかし、実務上では、単年ROICを素直に初年度からプラスにするような投資は存在せず、ROICはマイナスから始まって、3年目以降でプラスに転じていく。またその場合の資産価値についても、純利益の成長が見込まれる領域については将来FCFの現在価値で評価することになる。
「どの時間軸におけるリターンの現在価値を議論しているか」を明示しない限り、ROICの解釈は幅があり、ステークホルダーのコミュニケーション語彙としては揺れがありすぎて、例えばROIC5%を目指す、ROIC10%を目指すという決算説明会は散見されるものの、この目標は受け手によって様々な意味を持ってしまうという構造的曖昧性があるため目標を掲げても実行する力が発揮されない。
最も重要なのは清算価値であり、Paid-in Capitalに対するDistributionのAfter Tax Cash Equivalentsである。例えば、人生が終わった後に相続人に行き渡る相続税控除後のAfter Tax Cash EquivalentsとFree Cash Flowまで考慮できる人はどのくらいいくだろうか。
税引き後の残余財産が増えたか減ったか?つまりリターンを明確に定義するのは想像以上に難しいのである。
✅ 参考:ファンドにおける代表的なリターン指標
PEファンド(プライベートエクイティファンド)やベンチャーキャピタルでは、ROIC的な「リターン」を評価する際に、「簿価」「時価」「清算価値」を区別する。
指標 | 定義 | 意味・評価軸 |
---|---|---|
DPI(Distributed to Paid-In) | 分配済キャッシュ / 出資元本(Paid-in Capital) | 実現済みリターン(キャッシュベース):既に投資家に返された金額。出口済資産のリターンのみ反映。これは清算価値である。在庫評価で言えばForced Liquidation Value(強制清算価値)のようなものとなる。 |
TVPI(Total Value to Paid-In) | (分配済キャッシュ + 未実現時価) / 出資元本 | 総合リターン(簿価+時価):DPI + NAV(未実現時価評価)で構成。売却時に値が下がることもあるのでTVPIが=DPIになることはない。 |
RVPI(Residual Value to Paid-In) | 未実現時価(NAV) / 出資元本 | 残存価値:今後の出口がうまくいけばどれくらいのアップサイドがあるかを示す |
✅ この区別が重要な理由(ROICとの対比)
ROIC(会計ベース)では「当期利益 / 投下資本」ですが、ファンドでは:
区別 | 会計ROIC的 | ファンド的 |
---|---|---|
投下資本 | Balance Sheetベースの簿価(投資額) | Paid-in Capital(キャッシュで払い込まれた元本) |
利益 or リターン | 純利益やNOPAT | キャッシュで回収したDPIや評価込みのTVPI。通常ファンドはパススルーなので、DPIは税引き前である。 |
清算価値 or 時価 | 残存簿価(会計評価) | NAV(Net Asset Value, 実態価値ベース) |
たとえば:
- 投資額:100億円(Paid-in Capital)
- 既に回収:DPI = 70億円(キャッシュで配当済)
- NAV:100億円(未上場企業の時価評価)
このとき、**「キャッシュは70しか返ってないが、NAV評価上は100ある。170のリターンが生み出される可能性はある」**という状態です。ただしNAVがいくら高くても、清算した際に100億→10億になることもあり、結果的に100億円の投資で80億円しか戻ってこなかったというケースも多々あります。
✅ 実務での使い分け
利用目的 | 指標 | 観点 |
---|---|---|
過去のキャッシュ回収実績としてのリターンを見る | DPI | 現金回収ベースの安全性・実績 |
キャッシュリターンを予想する | TVPI | ポートフォリオ全体の「見かけ上の倍率」 |
期待残価 | RVPI | 未実現資産への期待(ただし主観的評価が入りやすい) |
ファンド会計ではROICのような会計的リターンよりも、キャッシュベースの清算価値(DPI)と、時価ベースの総合倍率(TVPI)を分けて評価します。ただし、DPIはこれでもLP投資家にとってはまだ税引き前であるということに注意。
これはまさに「簿価」「実態価値」「強制清算価値」の乖離があり得ることを前提に設計されたリターンフレームワークであり、DCF的・ROIC的な考え方の限界を補う形で整備されています。