心の弱さが闇を呼ぶ。
対価関係がない金はゴミである。過剰な価格やマージンに価値はない。多少の注目に長期的な意味はない。
事業とは大数の法則による習慣のチャンク化であり社会的なリスク算定による相互扶助である。したがって単価の高さは高級さを意味しない。気軽に使えて気にならない単価で生活の可能性を増やすのが真の高級品である。高級品は安価である。
不良在庫や不良資産価値は維持、処分するのに金がかかるのと同様、世の中に存在するあたかも表面的には意義がありそうなものの中にはノイズやカオスそのものである、意味を失った金がある。
たとえば合理的な経済効果を説明することのできない組織的独断的な内部留保や税金の利用、現在的意味をもたない過去の栄光の延長線上にある天下り的な市場価値をもたない給与。
対価関係、資本関係のない冗長性の低い(再現可能性の低い)金銭授受、みかじめりょうやマネーロンダリングなどの法的正統性や背後にローコストオペレーションや経済的競争原理の働いていないノンサステイナブルな金銭の授受。
一時の価格の上昇にかけたギャンブル的な投機活動。たまたま勝ったところでなにがメリットがあるのか。理由なく得た金は理由なく失ってしまう。相続した財産も同様である。器にあわない金はほんの数年で消える。
企業の金を経済的対価の移転なしに個人にうつすリベートやキックバック、発注書や請求書をバックデートにした不透明な金銭授与。
楽して稼げるように見えるもの、手間を省いたように見える金銭や対価の授受はすべて絞りかすのようなものであり、出汁のエキスので切ってしまった骨の残骸のようであり、そこには栄養もうまみもなにも残っていない。
もしかりに受け取ったカラの紙幣にトークンとしての値段がついていたとしても内在価値が0なのに1億円受け取ったとしたらその実態的な資産価値はマイナス1億円である。
実態価値と名目価値の数値の乖離は個人の生活に毎日発生する現象であり、とりわけ事業拡大や資本の拡張において、スケーラビリティとともに必ず構造的に迫ってくる罠である。 基本的にPLOG(プロダクト主導のオーガニックグロース), PcLOG(自己資本主導のオーガニックグロース)で自活自律しようとすれば問題はないが、どこかでマーケットリーダーの熱心なフォロワーとして、数理算定を毎回することなく自動的な意志決定をすることで無意識の下請けに徹していたり、エクイティやデットなど割引現在価値や数十年の朝三暮四を考慮せずに他人資本に依存しているような精神があると知らないうちにその闇にどっぷりつかっているのである。
富の配分と再生産は光と闇が共存している。善意が知らぬ間に命をむさぼる。
EVA>20%の事業は光である。EVA>10%の事業はリーダーである。ただしEVA=0%は闇落ちの前兆であり、EVA<0%の事業は知らぬ間に他人の命=時間を奪ってしまうのだ。