制御臨界点を超えた巨大経済の制御技法|ブレイクスルーの感性的理解
イノベーションによる国民経済の競争力強化をするために必要なことは政府や大企業、銀行が率先してスタートアップ投資をすることではない。王将は前線に出てはいけない。もし前時代に王将のように見えていた組織が前に出てきているようであれば、実は真の王将が切り替わっているということを象徴しているかもしれない。
巨大構造を動かすコアはブレイクスルーを起こす主体になってはいけず、常にアービトラージすることのできるミドルマンでありつつ、リスクとリワードが最大化される母体となり、ダウンサイドプロテクションにより、下限を足切りすることで、自動的に、間接的にアップサイドマキシマイゼーションが得られ、ROIC, IRRが最適化される。
TANAAKKのフェーズが売上5億円前後だった頃はBS, PL, CFについて、または売上の創出や利益の計算について全て実質的支配権者の責任において設計できる。一方GMVが100億円を超えると、数ヶ月後のキャッシュフローの見込みについて計算するものの、BS/PL/CF管理のオペレーションや資金調達は子会社の各CFOが銀行とやりとりをし、その先のメガバンクがシンジケートで10行の総意を集める。売上は数十人の営業、デザイナーが持ってきて、生産や品質管理は数百人単位が各自の創意工夫で実行する。もはやこの大きさになると100%株式を保有している実質的支配権者ですらコントロールは不可能である。たったの100億円規模であってもその売上の明細を見てみると、日経平均株価を形成している大企業で構成されており、100億円は日本経済600兆円のGDPと同等のデータスキーマが要求される大きさになっているのである。
100億円というのは日本全国の企業の売上2000兆円と比べればほんの10万分の1のスケールであるものの、そのオーナーはCentimillionaireからBillionaireの間に所属することのできる規模であり、日本国内で100番以内に入る資産スケールであり、街の景気に影響を与えるレベルである。経済ジオラマとしてのモデルに事足りる規模である。100億円という大きさは最小作用で日本経済全てを包含しているから、国の景気をどうコントロールするのかという問題と同様のデータスキーマに立脚するので、新規事業は創業当初から100億円規模を目指すべきである。(逆にこれが目指せ年商100兆円だと空間設計コストが高すぎて最小作用にならず、量子トンネル効果によるブレイクスルーが起きないため、いつまで経っても手触りのない空想が継続してしまう。年商100兆円は年商100億円のエネルギーの余韻で達成できるため、年商100兆円を目指すのは最小作用目標ではない。)
日本国内でアクティブな企業は約150万社あるが、このうち100億円の年商を超えているのは約100社に1社である。(1.5万社)しかし、毎年100億円の閾値を超えるのは10社に満たない。つまり、100億円の壁は必ず存在する。20年で178社しか100億円の壁を超えていないのである。1年に直すと10社。ちょうど、ゼロから100億円に年商を増やしたオーナーは日本の100位以内に入ると言っているのと同様の数字である。
米国の全企業数は3300万社、被雇用者がいる企業数は800万社ほどあるが、100million Revenueを超えている企業は2万社弱しかない。アメリカ全土の会社母数を持ってしても、100m を作ることは難しいと言える。
この段階では実質的支配権者であったとしても、コアの位相制御をすることしかできない。ミクロを配置変更することによってマクロにインパクトを与えるような間接的な市場への接触が必要である。位置ポテンシャルなどの調整をしながら、次の位相にジャンプするための材料を手元現金に対して最大効用になる順番で購入する。例えばシンボル的なオフィスに引っ越しする、シンボル的な設備投資を行うなど。
成長とは常に将来CFを最大化させるアクションであるため、手元CFはギリギリになりがちである。しかしもはや直接制御できない臨界点を超えた、大きな構造を動かすためにできることは、手元をわずかに配置し直すということである。
このような巨大構造ではよいことと悪いこと(端的に言えば)が同時に起こる。例えば、黒字の企業があれば赤字の企業もある。トラブルもあらゆるところで発生する。アップサイドマキシマイゼーションとダウンサイドマキシマイゼーションは同時に起こるのである。唯一の方法はダウンサイドプロテクションである。これは城を築く、門番を置く、より堅牢な建物に入居する、より堅牢な移動手段を用いる、設備を設置する、ロボティクスやAIにより人的工程を機械化するなどの一連のアクションである。これはコスト削減のために行うのではない。ダウンサイドプロテクションはどちらかというとコストのかかるアクションである。始める前から出口を想定してグローバルタックスや契約構造を整えなければならないため、これは売上に紐づくことのない支出であり、素人にはなぜその支出が許されるのか、理解することができないはずである。ダウンサイドプロテクションにより直接的な利益が生まれることはほとんどないと言ってよい。例えば大規模なIT投資によって直接的な利益が出ることはなく、その導入意義は「競争力」という曖昧な言葉で説明されるが、実態は人間の認知の臨界点を超えた複雑系のエネルギーの流れを制御するために、タンパク質構造という人間でそれを実行するよりも、鉄やシリコンなどの安定物質と計算資源で補完した方がより堅牢なディフェンス網が出来上がるということである。
規模が小さい時はトップは意思決定により組織を動かすことができる。しかし臨界点を超えると、意思決定というパルス的アクションは末端に権限委譲され、もっと穏やかで多様性の根源となるような母体、観測、整流がトップの役割となる。羅針盤やソナーという将来を予測する機能ですら、臨界点を超えた組織にとっては部分にすぎない。ちょうどアリの触角が部分であるのと同様である。そして、過負荷になり、激しく動きキャリブレーションをするキャパシティオーバーの部分こそ、ニューロンの軸索が伸びるかのように神経が発達する末端である。外部刺激に対して非常に敏感な末端部位は、電位差、抵抗、化学シグナルなどなんらかの障壁を読み取りながら、神経ネットワークの新しい接続点(対称性の破れ)となる量子トンネルを探索する。古典力学では「粒子のエネルギーが障壁を越えるには、障壁より高いエネルギーを持たなければならない」という制限を超えて、そのエネルギーが足りなくとも壁を通過する現象がトンネル現象であるが、これは同じ位相の高いエネルギー障壁に真っ向から勝負することなく、迂回経路を開通させるという作業であり、これはアップサイドマキシマイザーションの勢いを維持しながらダウンサイドプロテクションの要塞構築によりブレイクスルーのみをディフェンシブに享受する姿勢と共通している。
つまり、センサーやモニターはエナジーブロックを特定することには長けているが、そのエナジーブロックを破壊するためには母体からの無尽蔵のエネルギーが供給されることによる別次元のエネルギー転移が必要になるということである。この意味からも、トップの役割はソナーのように未来を見渡してリスク回避するようなアンテナ機能「ではない」ことが説明できる。
エナジートラップのバリアの壁を、同位相の出力以外で潜り抜けてしまうというトンネル効果の発生条件は継続的な意識の集中と自由意思による出力と言えよう。ただし、場合に応じてどのような迂回経路が空間可塑性として形成されるかは経路依存的であり、定式化は難しいのではないか。つまり必要十分条件はわかるが、実際のところどのようにブレイクスルーが起こるのかは定式化できず、経路依存性として通り抜けた後に道の形状は後付けで説明できるだけである。あらたなトンネルが開通すること自体はある程度予測できるものの、どのくらいのエネルギー量(Polynominal Space&time)で開通するかは事前認知不可能なのではないか。
このような複雑系の制御がうまくいっているかどうかのKPIやモニタリングは言語的に設定するのが難しい。なぜなら、逸失利益と同様、避けることができた危険について、その避けた危険の数を数え上げるのは難しいからである。人間は顕在化した結晶化構造について数え上げるのは得意だが、潜在的な非結晶構造について数え上げることができない。もし仮に、避けられたリスクの数を数えあげることができれば、ディフェンシブに対する投資は合理的な算定が可能であろうが、避けられた潜在的なリスクの数を数え上げることは難しいため、外形的、経験的、感性的な意思決定によるモニタリングに委ねるしかないということになる。あの企業は何かやりそうだ、と周囲に思わせ続けるようなさなぎ性を維持できるかどうか、その企業の周囲に国を代表するような大成功事例が巻き起こっているかという外形評価による憶測の組み合わせでしか実質的評価はできない。端的に言ってみれば、何かわかりやすい「見た目」で実は全て判断できるということである。真実は包み隠すことのできないものなのである。

