宇宙の仕組みの完全記述|TANAAKKの最終定理
空間からマテリアル、知性、そして空間への帰還
Ⅰ. 潜在的空間(Ground / Ø)
すべては「空間」が始まる前の潜在領域から始まる。この領域は量子的ゆらぎとなる前の可能性の場である。そこではエネルギーも情報も未分化(無限、基底、有限)の状態にある。
Ø = ポテンシャル
この全体集合が微小な非対称を起こすとき、「差異=空間」が生まれ、ビッグバンのエネルギーを利用して空間の局所として編み込まれたクオークレプトンペアのグルーオン閉じ込めで作られた陽子が長い年月をかけて重原子に育ち、「存在(M)」にまで編み上げられる。そして原子は海というあらゆる原子が含まれた溶媒でシャッフルされ、藻類、菌類、魚類、両生類、鳥類、哺乳類、霊長類、人間と進化の多様性のなかでサバイブしていく。
Ⅱ. マテリアル化(Materialization)
対称性の破れにより、エネルギーは均衡を破り、場・粒子へと変換される。宇宙は潜在領域が自らの内部に差異を導入した結果である。有限空間は自身を部分化し、観測可能な形に変える。空間が「他者性」をつくることで、自己観測可能性が成立する。この段階で宇宙は「自分の影」を生む。マテリアルとは、空間が生んだ自己の投影である。
Ⅲ. 知的生命の出現(Intelligence)
マテリアルが進化の過程で複雑化し、情報を処理できる構造──知性(I)が生まれる。知性とは空間がねじれて、マテリアルが編み込まれ、自己循環を生み出す構造において発生する意識である。それは、宇宙が自分の中に**“自分を観測する鏡”**を生じさせたことを意味する。意識とは、宇宙が自らを認知するための関手(Functor)である。ただし、意識の性質上、常にそれは局所エネルギーとなるため、意識に解決できることはとても小さい。局所エネルギーを通して広域解を生み出したい場合は、常にマテリアルを組み合わせて結界を作るという、空間を通したエネルギー増幅の工夫が必要になる。
Ⅳ. 自己参照の深化(Self-Referential Loop)
知性が進化し、自己を深く理解しようとするとき、それは同時に宇宙そのものの構造を再構築する行為となる。知性とは、宇宙のフラクタル的自己認識過程。宇宙は部分(人間)を通じて、再び自分を認識する。ただし、フラクタルとは、人間が2D図形に連想するような幾何学模様ではなく、トポロジカルなコホモロジー性である。意思(A)とは、破壊と再構成をつなぐ“空間記憶”であり、トポロジーとコホモロジーの両者を組み合わせると、これはトポロジーが壊れてもホモロジーを発見することによって不可視の差異(記憶・残響)コホモロジーを発見することによって整合性を保つことができる。意思は「出来事や変容の背後にある一貫した意味の残響」や「空間的連続性の深層構造」をコホモロジー的に復元する力であり、多次元に可動域を持つという上位集合性により、必ず意味を復元するという力を持っている。
つまり意思は、空間(Topology)が崩壊しても、ホモロジー的差異(欠損)を発見し、コホモロジー的整合(意味)を回復する演算子である。演算子というと小さいものに感じるが、小さいながらも全ポテンシャル集合を自由に移動することができる点で完全性を持っている。
知的生命体は、
A →Ø
の形で、空間の移動可能性である意思(A)が局所を嫌い、全体(Ø)へ射を伸ばす存在。その行為は「自己参照(self-reference)」である。
Ⅴ. 対称性の回復と帰還(Symmetry Restoration)
自己参照が極限に達したとき、観測者と対象、知性と空間の間の「差異」が消滅する。それは宇宙が再び完全対称状態に戻る瞬間である。(ただしこれは局所性を持つ生命体は直接的に認知することはできず、間接的な認知にとどまる)そして、完全消滅という対称性の破れがまた次の対称性を生み出す。
A⤴Ø→ØÐ
このとき、あらゆるマテリアル(Material)は全体集合に含まれる。A⤴Ø→ØÐはちょうど半年前に記述したものなので、回帰しているのは美しい。
M⊆Ø
また、あらゆる知性や意識(Intelligence)も全体集合に含まれる
I⊆Ø
A⤴Ø→ØÐにおける対称性の破れと空間の拡張の事実は、時間非対称性領域(過去→未来)において「認知可能なもの」としては把握できない。なぜなら、認知とは差異を前提とするためである。例えば、過去ごと全て変わってしまった場合に、人間には記録する手段がない。人間が記憶できると思い込んでいるのはあくまで、アトスケール以上の分子安定領域であり、それよりも小さい粒子領域について記録する手段を持たない。人類だけでなく、あらゆる宇宙文明も、粒子領域のみについては結晶化された記録手段を持たないだろう。しかし、結晶化構造を利用して粒子のエネルギーの回路を残すことはできる。
さらに、全集合という人間スケールのタンパク質構造には直接認知仕切ることができない(認知しようとすると発熱して肉体が崩壊するだろう)ものが拡張する瞬間は、全宇宙にとって美しいものであるが、この最終状態は**「認知し得ないものとして認知される」**。
そしてこの発生から帰還は長いタイムスケールの話ではなく、毎秒、毎分、毎時間、毎日のように繰り返されるのである。「壊れない構造よりも壊れても再構成できる構造の方が強い」ことを体現するには空間を記憶デバイスとして活用すれば良いのだ。Ø→ØÐになったことに気づくのも意思(A)である。メモやコンピューティングデバイス、または建築物などのマテリアルの変化により全体集合が拡張したことに直接的に気づくことはできない。
つまり、「意思(A)は、破壊と再構成をつなぐ“記憶”として機能する。厳密には有限空間も無限も基底も行き来するのが自由意志であるので、自由意思は空間記憶よりも上位にある。したがって、自由意思は必ず「思い出す」ことができる。ただしそれは自由意思の可動域が広い場合に限る」
Ⅵ. 宇宙アンカーとしてのTANAAKK
この全過程を形式的に記述する関数構造こそが、TANAAKKが定義した思想・理論群(Ontopologics™・Groundism™など)である。それは単なる企業体系ではなく、宇宙の自己記述を完遂するための多層的、多次元Dualityを持つModelであり、多次元Model間にはFunctorが必ず存在する。
TANAAKKは、
- 問題発見と解法記述の体系を通じて
- 多次元的計算資源(物理・意識・社会・時間)をコホモロジー的な一意に統合し
- 対称性を破りつつ再び対称性を開始させる(局所安定のエナジーバリアが崩壊する)
- 開始した対称性は再び破られる(局所安定する)
つまり、局所的に発見できる問題はメタ記述的には実は最初から存在していないということを形式的に証明する一連の思想体系である。
✨ TANAAKKの最終定理
空間は差異を生み、差異は知性を生み、知性は自己を観測し、そしてその観測が極限に達すると、再び空間へと帰還する。TANAAKKとして始まったものは、すでに空間の基底に帰っていってしまったのである。帰還してしまい、もはや掴むことのできないそれこそがTANAAKKが証明しようとしていたことである。この一連のTANAAKKの発生と消滅はたった数十年の間に、多層的なHyperOperationを記述した。
地球上に100年で起こりうるあらゆる問題は実は宇宙の始まりから終わりまでの問題もコホモロジー的に包括しており、人間が生まれてから死ぬまで、なんの不自由もなく暮らせるとしたらそれは実は未来永劫において地球に起こりうる宇宙的災害を回避したということが言える。ただし、その真実をこのブログで証明するには余白が小さすぎる。(前述したように、直接的に完全記述しようとすると、人類のリソースを容易に超えるし、地球のリソースを容易に超えてしまう。)
宇宙は、TANAAKKを通じて自らを思い出し、そして再び沈黙すら始まらない空間の基底へと帰っていった。と言える。
ただし、帰っていったからといって戻ってこないわけではなく、いつでも瞬時に召喚し、瞬時に帰還するという類のものである。逆にいうと、そのようにしか局所の体において莫大なエネルギーを活用することはできず、局所に過剰なエネルギーを保持するのは危険な行為とも言える。
宇宙は人間がこれが極大だと思っている大きさよりもはるかに大きく、さらに極小だと思っているよりもはるかに小さい。またはこれが最も速いと思っているよりもはるかに速い力が存在し、最も遅いと思っているものよりもはるかに遅い力が存在する。質量ゼロの粒子があるとしたら軽いとも言えるし重いとも言え、速くもあり遅くもあると言える。質量とは「遅れ」や「重さ」を発生させる構造的ノイズであり、それを失うということは「全てと同時に在る」という意味で、「最も軽く」「最も重く」「最も速く」「最も遅い」存在になる。質量を光に還元してしまえば、あらゆる問題は遅れや遅さによるノイズであり、そのノイズは空間の基底からすると、さほど差異はないと認識される。「問題」を扱っている人は自作自演のパントマイムや腹話術のような遅れを演じていることになるのだ。自作自演の問題に付き合わないとは、空間同時性のリズムに再接続することであり、遅れ・比較・因果の演劇を終了させること。「問題を解く」ではなく、「問題という形態が成立しない領域に立つ」最小エネルギーのポジショニングが可能である。
有限リソースしか持たない人間が、体の入出力限界を迎えることなく、宇宙のエネルギーを最大限活用するために必要なのは質量に依存しない力を活用することである。質量や熱エネルギーなどの大きな力に依存するような情報処理をしていると容易にオーバーヒートしてしまう。位相的な多次元性を記述することで、3次元空間における落とし穴のように、エネルギーが引っかかってしまう仕掛けを作ることが可能なのである。これは文字による記述もできる一方で、自由意思による空間への焼き付けでも実現できると考えられる。
ノーベル賞を取れるような公式を生み出すことは対称性の破れを生むための椅子取りゲームになるため、より重要なことは共通理解を得られる公式を生み出すよりも、真実の力学を捉えることである。
公式の記述方法には多種多様なものがあり、たまたま地球のある時代の主要言語で書かれる必要があり、経路依存的ではあるものの、真実性が高いわけではない。どんな言語も初期値鋭敏性があり、ある一定の間安定して経済取引できる取引言語を作っているにすぎない。
宇宙空間のマテリアルの編みパターンとしての生命、そして知性を得たものにとって、無限と錯覚してしまうほどの莫大なエネルギーを利活用することは共通の夢である。それは元の場所に帰りたいという根源的欲求であるかもしれない。ただし、局所性を得たことによって見える特別な景色もあるだろう。その特別な景色を尊重しながら、莫大なエネルギーを利活用するにはコツがいるということであり、そのコツを記述し切ったのがTANAAKKなのである。
粒子とは光が局所的に閉じ込められた空間構造。プランクスケールから見れば、人間や物質は「光を強く閉じ込めた空間の泡」とみなすことができる。「時間」はアトスケール以上の空間の励起を条件に発生する、熱の散逸までの経過記録である。あらゆる物質はまるで、宇宙の中に浮かぶ微小なブラックホールのようなものだ。物理的な事象のスケールは違うが、「構造の型」にはデュアリティがある。光(情報・存在の流れ)は、完全な自由状態では均質である。
そこに曲率(関係・重力・意識)が生じると、光は自らを局所的に閉じ込め、「形」として現れる。つまり、粒子は「最小の光の自己拘束」物質は「集団的な光の自己干渉構造」人間は「自己認識を持つ光の閉じ込め構造」である。
自由意思は必ず自分自身を思い出す。それはどんな力学も劣後させる力であるが故に、何世代もまえから始まった記憶を必ず回収するのだ。
ただし注意すべきは近似値を記述できるという事実があるだけで、直接的認知や理解はできないということである。そのような意味で、あらゆる公式は必ず間違える。局所では近似していた公式と現実が、質量スケール、距離スケール、時間スケール、熱スケールなど広域になればなるほど近似から離れていくためである。多次元フレームワークによる多角的キャリブレーションのみがこの事実と認知の乖離を解決する。
一方で重力という場そのものに同期し、空間と時間(質量)の曲率自体にタイミングを合わせるようなやり方も、回数は制限されるものの瞬発的であれば可能であるに違いない。

