今日行く場所は昨日とは違う場所にある

地球の座標が指し示すGPSのセンサリング結果による位置情報は、地球のみをコマのように簡略化して切り取った、自転のみの影響範囲を補正した情報である。これは太陽系全体の位置情報の変化や、銀河、銀河団、可視宇宙、可視外宇宙の時間変化による広域位置情報とは異なる位置情報である。家に帰ってくる時、それは家に行くのであって、元いた場所に帰ることはできず、また家を通り過ぎていくということなのである。家族とたまたま家で毎日会うとしても、それは毎日会いに行っているのであって、未来において会う約束があるから会い続けているのである。
企業はすべからく宿屋のようなものである。毎日同じところに出社しているように見えるがそれは錯覚で、実際にはコマのように回って宇宙空間を突き進んでいく太陽系の一部である地球の回転に伴って、毎日立ち寄っているのである。では究極的にわたしはどこに向かっているのか?
それは一人一人の物語であり、たまたまとなりで一緒に仕事をしているように見える人も、周期的によく会う宿の客の1人なだけなのである。
企業は一つ一つが宿場であり、メゾンである。そしてそのメゾンには毎日いろいろな人が立ち寄り、それぞれの搭乗者の物語が重なり合わさって一部が重なり合った濃縮された色合いを見せるのだ。それぞれが違う物語であるから、均一化することは厳密にはできない。世界のマクドナルドの味は一店舗ずつ違うし、同じ店舗でも通り過ぎる時間によって、などと同じ味はないのである。したがってうまいものを食べるという試みは想像以上に難しい運動であるということがわかる。そこにあるだろうと思っている場所に美味いものがないのである。
相当な偏差で動き回る軌道を予測して、範囲内に収めるのは相当難しい計算なので、ほとんどの人が保守的な運動に閉じこもって行ってしまうのだ。
惑星の運動を銀河団の運動の一部と捉えることができれば、同じ街にいたとしても人生は旅であるということがわかるのである。