自社ビル、自社工場を建設しない方針

TANAAKKがこれまでの創業期に得てきた知恵がある。それは「すでにあるものをもう一度作らない」ということだ。この考え方はこれからTANAAKKが大きくなればなるほど重要な意味を持ってくる。
例えば、今くらいの資産規模で自社ビルを建てることができる。しかし23区のどこかにビルを建てたところで、丸ビルの歴史とこれまで支払ってきた総工費、維持費にはかなわない。シリコンバレーに大きなキャンパスを作る会社はたくさんあったが、果たしてニューヨークの歴史に敵うのか?
地方から成り上がった会社は地方都市を作ろうとするが、それは徳川家が権力を誇示するために日光東照宮を作ってしまったことと似ていないか。その時間、労力、資源を、東京の中心に振り向けていたらどうなったか?
望まれていない土地に大きな開発をして、企業や社員を誘致するのは金持ちの愚行かもしれない。そうして富が失われ、子孫が弱体化することが判明するまで100年以上かかると、因果関係がはっきりせず、失敗の原因がわからなくなる。
令和のこの時代に言えるのは、金は、人が集まるところに集めろということだ。どうせ作っても1番になることができないものはちまちま建設しても意味がない。人が注目が自然と集まらないところに金の力で注目を振り向けようとするのは成金の愚行である。100年後の子孫に富が残っていないのであればそれは成金である。地代が高かったとしても、すでにブランドを確立しているものを買った方が早い。自社ビルを作るなら、丸ビルの跡地に作るならありだが、わざわざ高くなりすぎた土地を買うのも非効率だし、どうせビルを建てても一番良い部屋は一つしかないのであるから、一番いい部屋を占有すれば十分で、すべての区画の所有権を得る必要はない。
人の集まらない土地に金を投げ打つのではなく、最も人と金が集まる土地で、最も良いものを高い金額で買うことにより、全体の価値を引き上げるプレミアムバイヤーとしての役割を引き受けるべきなのだ、何かを生み出したいという気持ちはエゴにもなりやすい。どこかにあるようなものをもう一度作るのは、フリーライディングなのだ。
所有と占有の峻別、不要な資産を持たないこと、世界の富の増分の上積みを識別すること、つまり、今まであったようなものを新たに作らないこと、これは原理原則である。生まれくるエネルギーを識別できないなら消費者のままでいる方が良い。