都市の顔、象徴的地位の責任

日本やアメリカは民間黒字、国民資産超過で政府赤字なので国が成長できているという説明がある。しかしそれは本当なのだろうか。赤字であるということは秩序がないということである。地球のリーダーとしての責任を政府が果たすことなく、局所的な競争をしているから政府が赤字になるのではないか。
時間、地球環境という資源の制約条件を認知しているリーダーは政府黒字を呼ぶはずである
同様に、国や都市の顔とも言えるようなランドマークの最上階というのも象徴的な位置にある。日本最大の不動産会社がフラグシップの最上階にどこの企業を誘致するか。これは企業の命運を分ける決定である。そこに入居した企業はある意味社会から監視と、足を引っ張る圧力、見定めのまなざしを受ける。1番の場所に入居している企業が赤字、成長しない企業であれば社会に追い出されるのだ。
これはあらゆることに言える。五つ星ホテルのいちばん良い部屋や、トップラグジュアリーブランドの最新の力作など、上澄の上澄とも言えるプロダクトを購入する場合、金を支払う側がリーダーとしての器、格、責任が試されるのである。
徳川は太平を作ったかもしれないが、内国主義により国際競争力を減損したから明治維新が起きた。三菱は不動産、銀行、天然資源に集中したために国民主権時代の消費者の需要を捉えそこね、トヨタに天下を渡してしまった。JPモルガンはイノベーションによるフリーキャッシュフローの転換を見極められずアップルに純利益No1の座を明け渡した。今や最も成長する企業のデータを持っているのは伝統的王者であった銀行ではなくAppleをはじめとするテクノロジー企業である。歴史の転換には意味がある。常に監視されているのはNo.1のリーダーの振る舞いなのだ。