「信用」は常に条件つきの「限定信用」であるべき

経営には信用がつきものである。人付き合いでも信用はつきものである。住む地域を選ぶのも、住む国を選ぶのも信用である。あらゆる住居に関するリスクは、信用を前提とすると許容可能で選択しているもののように見える。例えば、地震、水害、災害、紛争のリスクは提示された条件の上で合意して住んでいる以上、事前に許容されたリスクとリワードを得ていると言える。
例えば、社員や取引先を信用していると語る社長がよく陥るのが横領、不正、怠惰、減収減益である。これは社員に過度の「与信」を与えすぎていることに起因する。信用とは常に「限定的」であるべきである。
例え相手がどんなに大きな法人取引先だとしても、全幅の与信を与えてはいけない。自社の売上の10%を超えるような契約を許してはならないのである。
考えの浅い社長は売上の数十%を1社で賄えれば楽だと考える、そして社員もそれに甘んじる。基本的に与信制限とは独立心の表れである。社外であれ、社内であれ、全ての与信は条件付きである。
与信はリスクとリターンに基づいてポートフォリオを組むべきものである。サプライヤーや協力会社も無条件の支払いをしてはいけない。金を支払うなら常に監査がセットであるべきなのだ。
社員は味方ではない。「利害関係者」であり、「利益相反主体」である。一人の社員に多くの権限を任せるなどという愚行は基本的にしてはならない。全ての社員は互いに監視し合われていなければならない。というか自然と人は人を監視している。
納税する都道府県や国家にも、限定与信を設定するべきである。世界の富の分布が日本には5%しかないにもかかわらず、日本政府に全幅の与信を置いて、時間の100%を日本のために使うのは間違っている。
自分自身の判断も限定与信であるべきである。人は判断を間違える。自分を信じるのはせいぜい50%くらいまでにしたほうがよい。与信付与の上限を間違えると、しっぺ返しをくらい、依存の結果の経済的、精神的、肉体的破滅に至るのである。破滅を防ぐことができるのは常に条件付き信用である。