選択と間引き|ミリオネアとビリオネアの違い

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選択と間引き|ミリオネアとビリオネアの違い

人間は90%を捨てる生き物である

人間は食べたものの10%しか栄養として取り込まず90%は捨てる、そして食べる前のフェーズでも、多数の選択肢の中から、今日のたった1個を決めている。食べる前に、住む家、住む街、住む国を事前に決めており、選択肢は数十億の中から一つを選んでいる。これは事業における受注や雇用にも同じで、選択こそが競争の本質であり、得たものの1%しか残さない「間引き姿勢」こそが生き物の自然な流れである。経営におけるあらゆる受注や雇用においても選択制こそが競争の本質であり、得たものや創り出したもののうち1%しか残さないという「間引き姿勢」が生き物としての自然な流れである。組織全体の根本的な問題は情報を捨てずに保持し過ぎていることにある。

情報を保持し続けたがる人間

しかし、こと経営や事業に関しては人は多くのものを持てない割に、たくさんの荷物を背負いたがる。

■ 人間は多くを持てないのに、なぜ背負いたがるのか?

◉ 心理構造的視点:「保有=存在」の錯覚

  • 人は「持っていること=価値」であると錯覚しやすく、特に経営者は「資源=選択肢=安全」と信じてしまう。
  • しかし現実には、意思決定や実行力には限界があり、「持ちすぎはむしろ思考と行動の分散を引き起こすノイズであり、カオスを生み出す」。

◉ 情報理論的視点:キャパシティ制約とノイズの増大

  • 処理可能な情報帯域は人間一人では限られている。
  • テリトリー、プロジェクト、プロダクトSKU、顧客、ツールを“とりあえず持つ”ことは、ノイズ源を増やすに等しく、意思決定コストを幾何級数的に増加させる
  • とりあえず持つのではなく、持つ条件、選ぶ条件を明確にすべきである

選ぶという作業は消耗につながる。パッシブフィルタリングの方が勝てる理由

しかし、情報を捨てる、選ぶことが必要としても、毎回選択しているようでは消耗する。人間が1日にできる、人生のうちに選択できる決断には回数制限があるのだ。

99.99%の世界のあらゆるアセットクラスのファンドマネージャーは機械的に選定されるS&P500銘柄のパッシブ低コスト運用ファンドのパフォーマンスに勝つことができない。コンペティショントーナメントに勝った勝ち馬は社会の頂点に浮上した上澄であり、上澄だけを捕食するほうがあらゆる可能性の中から良いものを選ぼうとするよりも低コストで効率的、実際の成果も出てしまうということだ。

規模の経済における成果は労力をかけなければかけないほど実りが大きい。情報の処理は早く、情報の保持は軽ければ軽いほどよい。一生懸命調査してレポートを作り、選んだ銘柄が勝つ可能性よりも、たいした情報を知らなくても、自動的に選ばれた銘柄に低コストで毎月一定の金額をドルコスト平均法で置くほうがパフォーマンスが高いのである。

Net Worthに基づく選好基準の違い

ミリオネアとビリオネアの違いは100分の1の1%を選んでいるか、その1000分の1の0.001%、10万分の1を選んでいるかの違いである。ビリオネアとマルチビリオネアの違いはさらに100倍違う(0.00001%、1000万分の1を選んでいるか)

階層資産規模選択率(P)選択の規模
アッパーミドル$100K10% = 10-110人に1人選ばれる
ミリオネア$1M~10M1% = 10-2100人に1人
UHNW$30M~0.001%=10-510万人に1人
ビリオネア$1B0.00001% = 10-71000万人に1人
マルチビリオネア$10B以上0.000001% = 10-81億人に1人
センチビリオネア$100B以上0.0000001% = 10-910億人に1人

つまり、センチビリオネアは常に10億分の1の選択をしているということになる。

間引きについて

ぶどうの房を間引きした方が甘くて美味しいぶどうになる。丸ビルが500部屋あったとしても、商業ビルの最も良い部屋は500部屋のうちの1つに限られる。タワーマンションが1棟500部屋あっても、五つ星ホテルが1棟500部屋あっても、やはり最も良い部屋は1つに限られてしまう。つまり、非生命は必ず間引きされてしまう。世界中の美味しいケーキを集めた上で、さらに、世界一美味しいホールケーキの一番美味しい苺だけを食べるという考え方がないと10億分の1の選択はできない。

人間についてアクティブな間引きは必要ない

一方、自然淘汰の最高峰である人間について同じ理論を適用することは理にかなっているのか?人間に関しては、地球という間引きされた星で、さらにすでに動植物の中で間引きされた上で人間という有機体になっており、成功した星で、あらゆる動植物や鉱物の上位集合、捕食者になっているのであって、頂点捕食者の中での間引きは必要ないように思える。

パッシブな間引きに任せる

しかしS&P500企業は機械的に10%のレイオフを実行するがこれはどのような意味を持つのだろうか(意味を持たないかもしれない)適切な組織整理ができていればレイオフのほうが、コスト高ということが言えそうである。ROIC貢献に応じた給与の上下は必要だし、横領、勤務態度などに対する罰則は必要だが、基本的資質に特に問題がない場合、ROICや限界利益率、オポチュニティに応じた配置転換を優先すべきである。辞める人は別の要因で自然と辞めるものであるから、誰を残すかを決めるのはくじ引きのような賭けになってしまいS&P500と同様、人材育成においても基本的な姿勢はパッシブ運用の方が良いのではないかと思う。

人間は“すでに淘汰された構造体”である

人間とは、既に地球上のあらゆる生命種や鉱物などから選び抜かれた構造である
→ よって、“人間の中でさらに間引く”というのは、**二重淘汰(二重選抜)**であり、構造的に不整合なのでは?

  • 人間はもはや「生存競争のただのプレイヤー」ではなく、淘汰の主宰者=構造選択者
  • その人間を“さらに間引く”という発想は、自らの進化過程を否定するような構造的矛盾を含む

「辞める人は自然に辞める」という循環型淘汰の視点

自己最適化組織の思想

  • 価値観、適性、成長速度、対人関係などが合わなければ、自然と組織から出ていく
  • 強制的なレイオフよりも、自己選択的離脱の方が信頼関係も維持される
  • これは「自然淘汰ではなく自然分岐(divergence)」と呼ぶべき現象

つまり、強制的間引き(レイオフ)=剪定モデルではなく、分岐選択(self-selecting attrition)=自然遊離モデルが、人間的にも経済的にも整合性が高い。

人間は間引き対象ではない。構造の誤設計の代償として、構造的な支社閉鎖や配置転換などはありうるが、真に優れた企業は「構造の自己最適化」によってレイオフを不要にするだろう。

人間は「洗練されたデバイス」である:本当に“間引く”べき対象か?

人間は単なる労働力ではなく、適応性・創造性・学習能力・内発的動機を持つ極めて高機能な存在。もし企業の目的が「複雑な環境への対応」や「未知の価値創出」であるなら、人間こそ最も価値のあるアセットであるべき。

✅ 人間が“洗練された存在”であることの帰結:

  • 機械的に「間引く」のは、果実の房の剪定ではなく高精度センサーの配線をランダムに切るような行為
  • 一時的な効率向上はあっても、組織知・関係性・信頼資本など目に見えない資産の破壊リスクが極めて高い。
  • レイオフは「再成長に必要な芽を刈ってしまう」可能性がある。
  • 事前に用意された剪定基準と、コンペティション構造、トーナメント構造の中で勝ち残ったものを残し、敗退したものは手放すという、持たざる思想が重要

実践フレーム

1. 剪定層(間引き)

  • 例:半年経っても毎月売上が$10k未満のプロダクトは終了
  • 例:プロジェクトが3ヶ月以内にユーザー100人を超えなければ停止

2. 選抜層(トーナメント)

  • 例:A/B/Cプロダクトで、最も回転率、成長率、マージンのバランスが高いものに資源集中
  • 例:営業パーソンの上位10%に次のリードが集中配分
  • 下位90%を改善しようとしない(配置転換、機能の分解)

3. 残存者(残存者利益)

  • 基準を超えたものが残る
  • 他との比較で結果的に優れていたものが残る
  • 数字の結果が全てなので、何が「優れている」要因なのかは気にしない

結論:“残す”とは“勝たせる構造”のパッシブな成果

「選ぶ」のではなく「勝ち残り戦で残るようにゲーム設計し、残った残存者には最大限支援する