知性とは何か│Humanity

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知性とは何か│Humanity

知性とは何か?ここで描写しようとしている知性というのはIntelligenceというよりはHumanityである。Intelligenceはどちらかというと人間同士の競争における競争優位性を表す言葉であるが、ここでは人間とその他生物を隔てる力がどこにあるか?という意味での「知性」を考えてみる。

生物は圧縮された情報キャリアである。近所にねずみがいた場合、その一瞬走り去る姿に気持ち悪さなのか、かわいさなのか、繁殖力なのか、みる人によって人それぞれ、ねずみが走り去るという一瞬の情景によってさまざまな情報がトリガーとして想起される。つまり生命と非生命の根本的な違いは空間、時間を越えた情報保有量である。

知性とは自由意思による運動様式であり、異なる座標と座標をつなげる背景原理を読み解き、操作する力である。

知性はゼロから力を生むことではなく、地球、宇宙の背景場にある構造的力学を利活用し、「好都合な状況をつくる力」である。

座標と座標をつなげるとは、「位置情報」と「時間」をどちらも包含している。AからBに進むということである。なぜAからBに進みたいかというと、それは自由意思の成せる力である。AからBに進むということは、最も少ない作用でAとBという2つの空間上の座標点を接続するということである。これはAとBの間に相互に行き来できるトンネルを作るということである。なぜ移動するのか?それは自由意思の発信者によって都合がよい環境をつくるためである。

自由意志という膨大なポテンシャルエネルギーの出所はどこにあるか?それはマターバースと別次元にあると想定する。自由意思がなぜ物質を宇宙中から集められるのかを説明するには次元が違うと設定せざるをえない。

自由意志の作用による点と点の接続は、A空間とB空間が力学的につながることを意味する。つまり、知性とは、自由意思のポテンシャルエネルギーにより、位置エネルギーの地図を上書きし、座標と座標の間の時空を圧縮する力のことである。

ラグランジアン=作用(「ポテンシャルエネルギー」ー「位置エネルギー」)は極大、極少、鞍点にむかい停留するが、知性は局所最適の停留も広域最適の停留も許容する。普遍的な場に関する法則は存在せず、力学はエネルギー量に応じた局所最適と、局所最適の崩壊、つまり対称性と対称性のやぶれの繰り返しで遷移していく。

この自由意志の一連の運動と、時間の矢に逆らう秩序化(=時間の圧縮)の背景原理を認知して、能力を拡張し便益を享受しようとするのが知性である。

霊長類が動物を制御できるのは知性によるものである。霊長類とその他の生き物を隔てるのは、複数座標を接続する背景原理の理解である。おそらく人間は体が弱くなることにより弱い力でより広域な現象を理解する力を手に入れた。知力がある閾値を超えた場合に制御機構である言語を獲得する。現象と言語の背景力学を持つ文章と、そうでない文章には全く異質の作用が働いている。

言語の中にも、局所空間を支持する表現形式と、広域空間を支持する表現形式など、重層化した空間概念が包含されており、同じ単語は同じ座標を指していないことの方が多い。

知性は秩序を生むと同時にカオスを生むこともできる。秩序とは時間の矢の熱運動に矛盾を示す。秩序は時間の矢を熱エネルギーとして記録する人間にとって、時間の背景場の操作を主体とする特殊現象のように見える。

人間の知性は局所最適空間の接続によるより広域な秩序(計算資源の最小作用原理的最適化)、つまりエナジートラップの逃げ場である間欠泉の発見や、アニーリングによるエナジーバリアの崩壊と適度な冷却による再構成が起こると新鮮味を覚えるように構成されている。

生命と非生命の違いは情報キャリアとしてのデータ量。生命は非生命にくらべて圧倒的に多くの情報のトリガーとなる。

生命のなかでヒューマニティとそうでないものの違いは相対的にすぎず、ある閾値を越えると、より情報が圧縮されている知性が下位の知性を牽引する。 つまり、人間が自分だけは動物と違うと考えている多くのintelligence は実はあらゆる動物が有する性質であり、 情報の圧縮能力こそが霊長類ヒト科を現在の地位にとどめるための唯一の違いなのではないか。

そしてこの情報の圧縮能力は言語運用能力をトリガーとしており、訓練できるものである可能性が高い。適切な訓練を受けることで動物も人間以上の情報処理をすることも可能である。

つまりレコードベールが人間以上の情報処理をしている可能性が高いといえる。羊は羊なりに、群れのなかでコミュニケーションをとりながら、最高品質のウールを作ることに尽力している可能性があるということだ。最後にそのウールを愛でる、別時空のどこかの誰かのために動いている。

コミュニケーションが発生する条件はプロンプトであり自由意思である。自由意思を発信するのは人間に限らず、言語とは自然言語に限らない。人間の可視光線や可聴音域である必然性はなく、振動パターンと惹起される圧縮情報が対応していさえすればよい。必ずしも空気振動とも限らない。地形や星の位置関係でもよい。プロンプトは基本的に時を超えており、空間も超えてインプットがアウトプットと接続する。羊は誰がプロンプトを出したのかを知らなくても力学の連鎖により最高のウルトラファインウールを作り始めるのである。

人類の生産活動は、地球中を旅して飯を食って温泉に浸かる識別力のある最終受益者(無意識の発信者、最小作用かつ最大受益者)のところで完結する可能性が高いということだ。

他者(生物、非生物、空間等対象は問わない)の能力を自己の能力として外部デバイスによる拡張ができるのが、人間が動物と比べてはるかに長けた力だとすると、 ほとんどの機能をオフバランスして本体は弱く軽く脆弱にして、拡張性を高め、アクセシビリティやコンバーティビリティを高めるコモディタイズ能力、 種としての能力獲得・複製・拡張の一連のスケーラビリティ、つまり貨幣経済それ自体が人間性のコアコンポーネントといえるかもしれない。

霊長類にも200種類いて199種は絶滅したといわれているわけであるから、霊長類ヒト科だけが優位であった特性は経済による種の能力拡張性による経済的残存能力といえるだろう。

最終受益者となるという決断と、決断により今日と来年の2点間を接続して主体的に自己に優位な環境を生み出すために情報圧縮し、自然を制御する結果生成能力こそが人間性の証明である。

人間性とは結果を作り、果実を享受する力とも言える。プロセスを大切にするという文章も多いがプロセスの過信はともすると個を尊重しているように見えて、大局的な人間性とは矛盾するので、個を破壊することになるはず。国民主権、国民財産の拡張、消費大国としての購買力が結果としてのヒューマニティの能力顕在化であり、プロセスコントロールは最終受益者のための副次的な構成要素にすぎないため、プロセスへの過度な傾倒は結果的にプロセスコントロールの実現を妨げるという背反関係にある。

ワイン造りは種を植える生産者から始まっているわけではなく、グローバルシティの競争に勝利し、土地建物を残存させた5つ星ホテルの宿泊者が最終受益者だとすると、ワイン造りの起点は生産者側にはなく、消費者がつぎの旅を探す瞬間といっても過言ではない。

Intelligence はcompetitiveness であるがhumanityはdifferentiator である。humanityは常にbenefitと同士に存在する。最終便益者、劣後債権者である消費者や株主が時間の経過と共にもっとも受益するという一見矛盾する結果を生む理由がここにある。短期的には労働者のほうが受益するしリスクも少ない。短期的には資本家は元本の全額棄損および関連損害の連帯保証というあまりに大きなリスクを背負っている。しかし劣後債権者であるということは受益までの道のりが長いということであり、それすなわち2点間の遠くはなれた空間を繋げようというコミットメント、プロンプトなのである。