オーバーエンジニアリングの罠と最小作用原理|Least Action Principle
物質は、二点間を結ぶ経路の中で最小の作用(Action)を実現するように自然と収束する。ここでいう作用とは、「ラグランジアン(運動エネルギー − 位置エネルギー)を時間について積分したもの」であり、自然界ではこの作用が最小、または停留する経路が選ばれる。
たとえば地球上でボールを放り上げると、無数の落下経路が理論的には存在するが、実際には一定の重力加速度に従って落ちる。これは最小作用の経路であり、自然が「もっとも無駄のない動き」を選び取ることの証明である。実際に物体がとる運動(軌道)は、”ラグランジアンの時間積分”=”作用”が停留(変分で不変)するような経路である。これは「最小」と限らず、**停留値(変化がゼロ)**という意味で、極小・鞍点・極大のいずれでもあり得る。(鞍点 あんてん、saddle pointはある関数の変分(変化)がゼロになる点でありながら、極小でも極大でもない不安定な点)
この**Least Action Principle(最小作用の原理)**は、自然現象だけでなく、プロダクトの最適化に応用可能である。
例えば、衣類でヒット商品を作りたいとする。繊維工場の品質を高めるために、歩留まり率を高めたいと考え、各工程にカメラを設置して、タブレットも設置して、各工程を事細かに計測するという考え方がありえる。これを実行している工場をベストプラクティスとして見せられると、業界の経験者であればあるほど、トップ工場はそうしないといけないと思い込むかもしれない。しかしこれがLeast Action Principle、つまり、顧客が欲しい衣類を作るための最小作用になっているか?を考えてみる。
他のことでメタファーしてみる。例えば、仕事のパフォーマンスを高めるために、とても重要なものを計測しようということで、社員全員の心音と呼吸の回数をトラッキングしようと言っている人がいたら、トップパフォーマーはそうしないといけないと思い込む人はどの程度いるだろうか?
つまり、製造工程を事細かにデジタル記録することは、利益率を高めるために呼吸の回数を数えてみようと言っているのとさほど変わらない問題である可能性が高いのである。顧客は購買する時にそこまでのトレーサビリティを求めているのだろうか。何か問題が起きた時にどの生産ラインで製造されたものなのかを社内的に明確にしたいというのであれば、製造工程に負荷のない形で、ほとんど費用のかからない形で記録できる仕組みを検討すべきである。
例えば、高級野菜や果物があったとして、生産者の顔が見たいと思う人はどのくらいいるだろうか。どこかの田舎の血も繋がっていないおじさんおばさんの顔を見たところで、購買欲求が高まることはない。銀座の千疋屋でメロンを買ったと言えば、生産者の顔が見えなくても十分ではないか。
同様に、ルイヴィトンのトランクにブロックチェーンNFTが付帯していて、誰から誰に売買されたかの履歴がトレースできるという機能がもしあったとしても、誰が以前所有していたかという記録なんかには大勢は興味はないだろう。どちらかといえば、新品を買いたいし、新品のバックをパリの工房のおっさんが作ったという記録がトレースできて生産者の顔が見れても、それよりもブラックピンクがルイヴィトンのロゴ入りのバッグを身につけている方が、どのおっさんが製造したかを知ることよりも顧客にとっては重要なのだ。
生産者は顧客が全く興味を持たないようなところに変な意地を出してこだわろうとする。つまり、購買という二点間の距離を結ぶ経路において、ラグランジアン×時間が停留する地点とは関係のない「うんちく」を入れてくる。たいてい、機能、技術、思い、ストーリーといったものは顧客にとってはほとんど関係のないことであり、支払いという行為は考えて実行するようなものではない。通りすがりに、置いてあったから買って帰るという、あったらすぐ飛ぶように売れるというものこそプロダクトレッドオーガニックグロース(PLOG)であり、説明しなくても売れるくらいに作り込んでおくことこそ、Least Action Princleから導き出されるプロダクトのあり方である。
この最適化問題に関わる余計なエネルギーのインプットは産業革新の一連のリフレッシュでどの時代でも常に起こりうるオーバーエンジニアリングである。もっと他の例に置き換えると、議事録、メモ、ノートが大事だという人がいたとして、その記入した議事録、メモ、ノートを人生で見返すことがあと何回あるだろうか。メモは人生で平均1回も見返さない。ほぼゼロであろう。メモは記憶の記名、保持、想起のツールにはなるかもしれないが、メモを見返すことが重要だと考えている人はいないはずである。
マテリアルが複雑に絡み合ったハードウェア、ソフトウェアについても同じことが言える。プロダクトはファーストであることよりもラストであることの方が重要である。あらゆる機能が付加されたプロダクトではなく、生産者が確実に高いROICを確保できる領域を見極め、競争を消しかけてくる同業他社の廉価販売、ダンピング、金融レバレッジの誘惑に負けることなく、着実に黒字を積み上げていくようなSaaSプロダクトを実現しているスタートアップはどのくらいあるだろうか?(ごく稀に見つけることはできる)
生産者は複雑性に身を投じている自分自身に陶酔してしまい、カオスを好むようだが、購買者は説明の不要な秩序だった様式美を求めている。
いまだに手書きでスケッチしている人が、Adobe ソフトウェアを使いこなしている人たちよりも顧客が欲しいデザインを生み出すことができるということである。逆に、情報を捨象して、本当に有効需要があるかどうか。金銭的交換価値があるかどうかについて、3D CADなど使わなくても、何も身につけずに体一つ、脳だけで、考えぬけば、世の中を動かす公式にたどり着くことは可能である。