日本におけるベンチャーキャピタルの存在意義についての構造的な課題

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日本におけるベンチャーキャピタルの存在意義についての構造的な課題

✅ 本来のVCの役割

伝統的なボンドやエクイティに変わるオルタナティブとしてのVC(ベンチャーキャピタル)はその存在意義を明確にすると以下の3つを実現する必要がある:

  1. 資本コスト(WACC約10%)を超え、インデックス投資を上回るIRR(最低でもEVA Spread 10%以上)を出す。つまりROICだと20%オーバー。上場企業上位10%のパフォーマンスを出すような次世代の企業に資本を配分する役割である。
  2. 5-10年間のファンド期限の制約条件の元、スケーラブルなビジネスモデルに限定して投資する
  3. LPの取り分を確保するだけでなく、GP報酬やファンド運営費用も賄う必要がある

❓VCは「アービトラージ主体」なのか、それとも「調査代行」なのか?

日本における多くのVCは、上記のような3つの要素を実現するアービトラージ主体の組織ではなく、政府系金融機関、民間銀行、生命保険、損害保険、年金基金などの金融機関の「調査代行業者」として制度的に機能している状態で、本来的なベンチャーキャピタルの意義からは乖離している。

✅ 1. VCは本来、アービトラージ主体であるべき

本来のVCモデルとは:

  • 市場で正当に評価されていない未公開企業(≒情報非対称)を、先に見つけて安く買い、高く売る
  • ⇒ これはバリュー投資、ディストレスト、グロース投資(DCF)などの概念が組み合わさった、時間を用いたアービトラージであり、資本主義の最前線的役割

以下の条件が必要です:

  • VC自身がリスクとリターンに関する数理的評価を下す必要がある
  • 公開市場のプレイヤーよりも分析力・選別眼・契約構築能力が上であること
  • 情報が市場に拡散する前に行動できる構造(=スピードと独立性)

マーケットアプローチによるプライシングができないような成長株を、ディスカウンテッドキャッシュフローなどのインカムアプローチで評価し、市場にリスクを分散しながら、成長という割引現在価値を証券化、流動化していく存在がベンチャーキャピタルである。

✅ 2. ところが日本のVCは「銀行由来」「政府補助由来」の構造

どれだけ「社会的インパクト」や「イノベーション支援」などと理屈を並べても、資本コストを上回らないIRRしか出せないVCファンドは、実質的に社会的価値を毀損する――つまり、国民資産の実質的減価である。

  • VCが銀行系列・地銀系・政策ファンド系列になると、自らリスクを取らず、実質的に「資金仲介業」に転化
  • ファンドマネージャー(GP)は、出資者=親会社銀行・自治体・政府の意向を忖度
  • 投資判断も「本当にスケーラブルか?」よりも「失敗した時に合理的な説明がつくか?」

つまり:VCは自己責任型のアービトラージ主体ではなく、単なる調査代行者・政策執行者に徹している

✅ 3. 銀行からの資金調達である以上、「融資の延長線」に過ぎない

VCが本来のLP(年金、富裕層、民間機関投資家)ではなく、銀行から資金を調達していると:

  • 投資先の選別基準が「信用補完」中心になる(=本来のハイリスク投資を忌避)
  • 投資先は「銀行が直接貸せないから代わりに見てくれ」というフロント業務の外注と化す
  • 結果的にVCは、株式を担保としたノンバンク的なメザニンローン提供者になり、リスクマネー本来の機能を果たさない

日本のVCが「市場の構造的機能不全に対する機能」になっていない理由

本来、VCとは:「市場に評価されづらい(が既存の上場企業のパフォーマンスを超える可能性ある)企業に先に気づき、資本を投じる」という、市場の構造的機能不全を埋める存在

現在の多くの国内VCは:

  • 評価の確立していないものには投資しない
  • 他のVCが投資した後なら安心して出す(フォロワー)
  • EXITが明示されていなければ手を出さない

というように、本来のVCの意義から乖離し、市場の追認者(≒証券会社的立場)に徹しています。

ただし、これはグローバルVCでも同様であり、1974年にERISA法を契機として始まった機関投資家のオルタナティブ投資は50年経って、成熟しており、ROIC30%以上を目指すことのできる主体は自らリスクをとって自己資金を運用することになってしまっている。(その際たるものがアップル、マイクロソフト、NVIDIA、メタ、アルファベットなどのプレイヤー)

当初はリスク評価はアウトソーシングされており、ベンチャーキャピタルという産業のアウトサイダーが情報を最も有していたが、現在では事業会社が最も多くの情報を有している。そのため、純粋なベンチャーキャピタルが、起業家のピッチコンテストをするだけで、構造的な情報優位性を2020年代においても維持し続けることができるかどうかは疑問符がたち、もしかすると、産業としてのベンチャーキャピタルはすでに旬をすぎており、イベント開催業として、縮小の一途を辿る可能性もある。

✅ 結論:VCがVCであるための条件

VCが真のアービトラージ主体であるには、ROIC>30%(=EVA>20%)というTop0.1%のパフォーマーを発見する手腕を持つ必要がある。そのために必要なのが、思想的自由であった。伝統的には以下のように思想の自由を担保していた。

  1. 非銀行資金(財団・富裕層・ファミリーオフィス・エンダウメント)によるローコストファンド組成
  2. VC自身がファンド成績にフルコミットするリスクリワードの一致したGP報酬体系(ゼネラルパートナーは自己資金を投じる起業家である必要性)
  3. レピュテーションに依存しない独立性と実力主義(株価のResidual Valueではなく、Cash Payoutによる評価)

これがなければ、VCはただの「審査代行」「融資先管理業者」「政策下請」と化し、資本主義の本来の進化エンジンとして機能しない

ただし、現代において、ソロVCと言われるような個人事業主がハイパフォーマンスを出しているという事や、マネーロンダリング規制や投資事業有限責任組合などの規制が整備されてしまったことによるコスト増から想像すると、すでにローコストオペレーターであったVCの存在は形骸化してしまい、真のローコストオペレーターとしてベンチマークを超えるEVAスプレッドを生むことのできる主体は事業投資家兼経営者であり、投資家兼経営者が新たな設備投資と雇用創出を担う現在におけるリスクマネーの提供者になっている。さらにその見た目はアップルやティムクック、バークシャーハサウェイやウォーレンバフェットのような見た目であり、VCというキーワードからは程遠いということであろう。