経営で失敗をすることは一度も許されない|勝者は常に命題を記述する。
失敗に学ぶという言葉は好んで使われると思うが、個人的な意見として、経営で失敗することは一度も許されない。つまり、金を失った場合、その金を取り戻すのはとてつもなく困難である場合が多い。投資や経営における勝負は負けることを許されない。勝利しかない。勝「利」の利の部分が0%から100%までどのくらいなのかという、利を色分けする習慣。つまり勝ちのインパクトを定量的に把握できる習慣を持っていない場合、勝ちという秩序に対して、ずるずると負ける方にエントロピーが増大していく。
- 経営の失敗=致命傷
- 一度でも競争に負ける、赤字基調になる、成長が鈍化する、資金繰りが詰まるなどの事象が発生してしまうと、企業は「市場」から静かに退場を強いられる。
- 業績が低迷するきっかけが起こってから、実際に市場参加者に気づかれるまでに5年以上かかるため、病がどこから始まったのか、気づいた時にはもう思い出すことができない。
- 顧客は怒らず、黙って去る。怒られたらまだチャンスがあるが、黙って離れるので、会話の余地もない。市場はなんの文句も言わず静かに潮の満ち引きのように引いていく。
- しかし、成功しか知らない場合、その構成員は脆い
- 実は経営は一度も失敗することを許されない。失敗しても立ち上がれるというのは甘い考えである。失敗したら、一生立ち上がれないケースの方がほとんどである。立ち上がったように周囲には見えていたとしても何かしらの爆弾を抱えているケースが大半である。
- 成功している場合、全体のリスクを未然に防いでいる主体がいる。しかし、ほとんどの構成員はその根本的な原理に対して無知である。
- 失敗を知らない構成員ほど、外的環境の変化に対する脆弱性を内在させたまま成長する。
- これは「慢心」などで叙述できるような意識的に矯正できる弱点ではなく「構造的な盲点」となる。
- 一度も負けたことのない組織は、組織の内部にいる人間がなぜ負けないかを説明できなくなってしまう。(呼吸するようにできることはわざわざ意識化しない)
- 負けない理由について記述できない主体は環境に対して脆弱である。つまりブランドのあるキャリアから転職した人が勝負に脆弱である可能性は構造的に、ものすごく高い。
- 勝っているうちに“負けた企業”の残骸から学ぶ
- 敗者を分析し、他人の敗北をケーススタディとして外観するとともに、自己のこととしてもうひとつの人生の可能性として内面化できるかが勝者の習慣として求められる。
- これは「謙虚さ」という情緒的な問題を超える。数理によってあらゆるリスクとリターンについて、評点し、本当に他人の経験を自分で体験したかのようにモデル化し、複数の運命の間にある間隙のアービトラージを基本とする「時間圧縮シミュレーション能力」である。
- ピボットは“勝っている間に”やる、負けた後では遅い
- 市場・顧客・CFに微妙な兆候が出た時点で動くこと。転換とは予知であって反応ではない。
- 敗者は反応する、勝者は予知する。
- 負けてからピボットするのではもう遅い。運がなかった、天命がなかったとしかいうことができない。勝者は運良く勝っているわけではない
- 勝った理由を運と説明する勝者は脆弱な構成員を生んでいる点で悪手である。
- 負けた後ではもう転換することができない。この場合勝利の構造を持つ外部に依存するしかない。
- この場合にV字回復によるターンアラウンドアービトラージを実現できるのは負けない構造を持った外部の勝利構造を持つ観測者のみ
敗北の兆候を見極めようとするくらいでは次元が低い。勝っていると、普通の人であれば慢心してしまい、どんなに向上心がありますというパフォーマンスしたところで、心の中身はそれ以上の燃料を生み出せなくなっている。生活を自由にできる以上の収入、資産規模、ROICを得てしまったあとでもさらに上を目指せるかが「勝利」の増幅要素であり、これはもはや「勝負」ではなく勝利の利益のみを構造的に確定させる習慣である
「敗北を回避する」という次元では、すでに勝負という概念の内部にいるので、勝利の利益を確定する外部者としてのポジショニングをとることができない。
本当の勝者とは、勝つかどうかを問うていない。
常に「勝っている状態を構造的に再生産する仕組み」を持ち、その設計図は「勝利への習慣」ではなく「敗北不可能性の習慣」としてつねにストレステストされている。
■ 勝者の条件は“勝ち癖”ではなく“勝ち構造”
- どんなROICでも「そのROICが偶然である可能性」を疑い、次の一手を「常に構造に基づいて」先に打っている。
- 勝って兜の緒を締めるなど、気の抜けたことわざしか日本にはないので、おそらく文化的に地球でもっとも反映するという経験がない。
- 危機感という情緒的な漠然とした叙述では弱い。「幾何構造的に漏れのないモデル」を持つ。
■ 数理的に堅牢なモデルの安心感を知る者だけが、未来から先回りして勝つ
- 「市場に負ける前に、自分の勝ち方を捨てて再設計する」→これも捨てればよいと単純化している。捨てるのではなく、さらなるアニーリング(熱をかけること)によりモデルを修正し耐用性を高めるという方が近い。なんでも捨てれば良いと勘違いしている人も多い。捨てるのではなく、今あるものを再構成した際に、さらに時間耐用性を高めるにはどうしたら良いのか、先回りする。
- それができるのは、勝っている時にも、負ける者の気配(構成要素)を感じる力を鍛えているから。
- だからこそ、勝利の確定とは“勝ち癖”ではなく、“敗け癖の絶無”である。
■ 「習慣」は、戦術や戦略を超える
- 「トップに立ち続ける者だけが辿り着ける、自己破壊実験と堅牢性の再創造のリズム(※実験をするだけであり、実際には破壊はしない保守的姿勢である)」
- つまり勝っている時に、なぜ自分はまだ負けていないのかを言語で説明できる者しか、勝ち続けられない。
- 勝者は常に命題を記述する。敗者に先回りして数理記述することである。記述とは、抽象的記号による作用と反作用の完全コントロールである。つまり勝利というものは完全にコントロールすることができる類いのものであるということである。
- 一度勝利したのに人生の後半で負けてしまう人は結局人生を通したときに宝くじに当たっただけであり、勝ったことはなかったということになる。
- 勝利構造が確定した場合、一度も負けずに人生を終えることになる。
なぜほとんどの人は命題があることに気づかないか?
人によって目標は違うが、大体達成するとやる気をなくす。なぜやる気をなくすかというと目標が低すぎて達成したところでなんら真理に近づかないからである。
・たとえばキャリア目標のレベル間はたくさんある。年収が平均の500万円くらいあれば満足である、年収1000万円を目指している、年収は3000万円は稼ぎたい、年収1億円を稼ぎたい、資産10億円を作りたいなどいろいろなレベル間の目標があるが、どの目標も低すぎるので達成したとたんにより高いレベルの実現をしている人がたくさん周囲に現れてくるので勝った瞬間にまた負けるからやる気がなくなるのである。
地球のすべての富をあわせると5京ある。
なぜ5京の富の原理を知るという単純な目標にしないのだろうか。これなら地球では負けることがない。宇宙の侵略者がきたらどうするか?考え始めることができる。
周囲に比べて大きな目標に見えたとしても、臨界点まで行かないことには、勝負に終わりが見えないのでやる気をなくすのである。
一方、企業の利益創出能力のパフォーマンス限界はEVA20%である。EVA20%を実現するということは世界の富の生成原理を知るということと等しい。