未知の長者は『オープンなラグジュアリースペース』で提示された選択肢の中から最小解を選ぶ
地球上の人類が発明したメゾンは、パリ、ニューヨーク、ロンドン、ロンドン、ミラノ、ジュネーブとそれぞれ競争しながら、最小作用原理の元最後に停留する位置ポテンシャルの最も低いラグジュアリーを開発し続けている。
例えば、コンプリケーション+フルパブェまたは数カラットダイヤモンドは物理法則を無視した没落する王族、覇権主義のように感じる。
技術とは富とは切り離されたアカデミックに近い特殊空間であり、富を追わない人のための自己満足空間である。富を得たいなら技術のテリトリーは明け渡すべきであるのに、貴金属としてのゴールド、ダイヤモンド、ルビー、サファイア、エメラルド、グランドコンプリケーションの「全部のせ」はCoCo壱のトッピングを全部のせしてしまったような残念さを醸し出す。
例えば、腕時計のメティエダール、アート系は少し違和感を感じる。なぜなら、アートとは、紙と絵の具というとても安い素材しか使っていないのに数十億、数百億円になるのが楽しいのであって、元々の原価が高いゴールドにアートを載せてしまうと存在の否定、論理矛盾になってしまうのだ。これは貧しい、裕福の問題ではなく、物理的な制約条件を度外視した最小作用になっていないものは残存しないという位置エネルギーの法則であり、豚骨スープにフカヒレや鮑を混ぜても混ぜれば混ぜるほど濁っていくのと同じである。豚骨スープに混ぜるのはせいぜい鶏ガラや鰹出汁や野菜で良い。
高級食材を全部のせすれば美味いものが作れるというわけではないのはオートオルロジュリーやハイジュエリーも同様なのである。
カラット数を追い求めてついには500カラットくらいまでたどり着いたり、世界一高いタワーを目指して1km以上のタワーを設計してしまったりするのはある意味で金持ちによる逃避行動である。
金持ちが最も恐れているのは、頂点捕食者である自分自身を捕食する天敵に遭ってしまうという漠然とした危機感である。ラグジュアリーホテルのプレジデンシャルスイートを使えば良いのになぜか高級会員制クラブを契約してしまい、オープン化されたラグジュアリーホテルよりも内装や設備、従業員の質が劣ったクローズドな社交場を求めてしまうのは、オープン化されたラグジュアリースペースには、自分よりも若く、桁の違う金持ちが気軽に入ってきてしまい、自分の地位が脅かされる危険性があるからである。
逆に言えば、クローズドな社交場に、次世代の強者は来ないことが多く、次世代の強者はオープン化されたラグジュアリースペースに出入りする可能性が高いということである。
ハイジュエリーでアンティークや重いカラット数、大きなルビーやエメラルドを求めてしまうのはもしかしたら若い子に負けているという劣等感の裏返しかもしれない。ファッション性の高いダイヤモンドはまだ良いが、奥に入れば入るほど、コンプレックスを映し出す鏡になる点は注意が必要である。
ハイウォッチも同様であり、グランドコンプリケーション、ソヌリ、ミニッツリピーター、フルパヴェ、メティエダールに系統し、ロレックスが安っぽく見えるようになってきたら、それは間違いである。明らかに純利益が一番大きいのはロレックスであり、ぱっと見の明らかさは最も重要である。
若者から老人まで、金無垢の時計を見たら「ロレックス」なんじゃないかと思い込んでいる。ということは、パテックやオーデマピゲよりもロレックスが安いとしても、一番明らかなのは、ロレックスのゴールドやフルパヴェなのである。
貴金属ならゴールド、プラチナ、鉱石ならダイヤモンド、ルビー、エメラルド、サファイアである。人類の数千年の歴史で条件反射のように刻まれてしまっている「価値」が明らかにわかりやすいようなモノが最高によいものの条件であり、価格が一番高いものが最高によいものというわけではない。
一方で、モノはなくても理念があれば良いというのも間違いである。惑星文明が宇宙の他の場所で成立したとしても、マテリアライゼーションはその中核である。宇宙のどの惑星文明でも頂点捕食者は必ず形を持つはずである。形すら持たないものがあると考えるのは幻想または逃避である。
未知の長者が現れるとしたら、様々なメゾンが創意工夫して作り上げたものの中から各メゾンごとに、最小作用原理のものを一つだけ選び、買うだろう。それによりオープンソースでメティエダールやサヴォアフェールを競争させる。
コンペティションは常にマテリアライゼーションと共にあり、次世代の王も必ず何かしらの「モノ」を得るはずなのである。

