Axiomaticity 公理性

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Axiomaticity 公理性

Axiomaticityという言葉がある。

例えば、チューリングはZFC公理系を知らなかったが、のちにZFCによる証明に耐えうる理論であることが判明した。一方で公理あると信じられていたピタゴラスやユークリッドの定理もある。これは「Axiomaticity(公理性)」がZFCよりも低かったと言える。

公理性が査読により認められたのにのちにミスがあることが見つかることもあれば、アーベル賞やフィールズ賞のように一度公理性が見つかれば覆ったことがない賞もある。

主題、命題を提示する人のうち、

・公理により定理が証明されていない人
・公理により定理が証明され、以降の歴史でも覆らなかった人
・公理により定理が証明され、のちに瑕疵が発見された人

に分類できるのだ。

ZFCが証明されたのは1922年なので、1922年以前の定理であったが、公理により再証明できる定理があるとすると、人間は1922年以前から「Axiomaticity 公理性」を判断する感覚を持っていることになる。そしてこれは力学に基づく普遍的な感覚だとすると、「公理性」は子供でも、動物でも、植物でも、いるかでも鳥でも虫でも持っているということになる。

「何が真理の基礎(公理)たり得るか」を直感的に見抜く能力というのはつまり、事象の背後にある決定的な停止条件や構造を直感する力、「システムが自己崩壊せず、他者と境界を画定しながら安定して存在するための最小限のルールを見出す力」と定義すれば、「公理性」はテリトリーの境界を切り分ける力ということになる。

「公理性」とは特定の力学主体が持つ、情報、熱、電気、流体などエネルギーの場の性質に関わらず展開されているテリトリーの境界を切り分ける力なのではないか。つまり、境界条件と力学の停止条件を記述し、面心立法格子構造のような停留条件を見破る力なのではないか。